普通の人からすればさ、精神病院さえも贅沢品、作業所があるだけ平和ってことだろうけど。

 

自分の意思で、たとえ消去法でも日本に来た外国人とも比較されるし。

 

障害者って行き場無い気もする。

 

ずっと不思議なのは、平和じゃないから日本に来ているって言うのに、戻る意思があって、現に何年か経ったら戻る意向があるっていう方もいるってことだよね。

 

海外の方の立派さと比較されるけどさ。

 

福祉の世界にもいらっしゃるとのことで、当事者は心の準備も必要ってこと。従業員さんが海外の方になるかもしれない、とかさ。

 

海外の方からまさか差別されるとは考えたくはないけど。本国には自分みたいな人っていないのかな、とか。外国人からしたら、外国人の障害者である自分が、どういう目で見られるか、とか。思うよ。

 

外国人が、自分の国に障害者でなく、外国人の障害者のお世話に従事するってのもね。平和じゃない国でこそ、そういう方は必要なイメージだけどさ。

 

当事者としては将来的に、海外の方の従業員さんがいらっしゃる心づもりでいないといけないってことが、やっぱりある。

 

作業所だって将来的には例外ではないし、福祉は人手不足ってずっと言われているでしょ。

 

あと言っておくけど、障害者の当事者に多額のお金が入ってるって叩く普通の人がいるけど。

お金って結局使ってこそでしょ。使うには使う場所も必要、使う時間も必要。使うための障害を乗り越える必要もある。

計算が苦手な人は?駅がない過疎地は?バスだってただでさえない時代でしょ。

 

こういうことに関しても少しは気に留めたら。

 

たとえ多額の給付あっても、使う先もなく、物品も高く、結局全て治療費にしかならないならさ、多額のお金あってもそんなものでしょ。

治すために高額な治療必要とか、保険適用じゃないものに手を出すとか。それは極端な例かもだけど。

 

移動のタクシーにお金がかかって全て使ってしまえば一緒でしょ。

 

結局障害者って、お金が解決策にはなっていない面もあるし、世間はお金で解決って普通だけど、障害ってお金かければ治るとか、時間で治るとかそういうことじゃないの。

 

ここを履き違えて、世間の人達がバッシングするから。それも怖いって訳さ。

 

莫大な金額で、高額なロボット機能を障害者に搭載すればいいみたい時代が欲しい訳じゃないでしょ。

 

結局、健常者欲しさって言うのがこういう所に現れるの。

 

障害者が得してるとか、そういう見られ方がやっぱりあるし。一般の会社に行くとかって言うのは、そういう認識の方に囲まれるってことでもある。