社会復帰といっても、それって言うのは永続性ないといけない訳さ。つまり、社会復帰し続けているっていう状況で、誰にも迷惑掛けずに死んでいって欲しいって言うのが、社会の要求だと思う。

 

社会復帰している期間が短くて、直ぐに施設戻りするなら意味ないでしょ?ってこと。社会に留まるってことは、上司、株主、顧客、同僚、取引先、後輩、みんなを満足させるってことだから。もちろん作業所でも当然だけど。

 

社会にいられない人が行く場所が作業所で、一般的には社会の中に作業所があるって考えではない。

社会の外に作った場所って感じ。社会の飛び地みたいな場所。

 

そもそも一般社会に近付けようとかっていうのが愚の骨頂な訳。社会とは違う場所を作るっていうのがそもそもの出発点だから。

 

良い作業所作る、みたいなことが、どんどん一般社会に寄り過ぎて、それが目標ってことで、却って居心地悪いみたいなさ。これは必然で正しいけどさ。

 

一般社会にたぶん組み入れられても、最低の位置付けしか場所はないってことだから。

 

戦える障害者を作ろう、社会の前線で生き抜ける障害者を、ってことなのに、社会復帰する時には作業所に入った時とは様相は変わっているわけだから。

 

努力で何とか、実力で何とか、と言っても、一定の伸び代を達成したら、そこから運とお金、才能とか、そういう所で差が出てくる。あとは周りの状況とか。

 

障害者が社会に出て行くことへの後押し、その成功例が膨大にある中、そこに乗れない自分っていうのがやはり惨めだし、外国人さえも頑張っているのにさ。

 

でも外国人の方に対しては十分優しいとは思う。だって、海外の方って土地を私有したりもできるしさ。十分この国の方って感じでしょ。

そうじゃない面もたくさんあるだろうけど。それでも、お膳立てがたくさんあるから。技能実習生の方が不遇な扱いを受けるとかってあるけど。少なくとも健常者だよ、あの人達は。

 

社会が見ている方向が、今生きている人には努力してもらって、未来を支えてくれる人に投資するってことだから。今存在しているだけで大損っていうこと。存在していない人が一番得しているってこと。その人達が来る時の環境を整えるために、莫大なお金を費やしているんだから。存在するって、それだけで、今存在しない人のために環境作る責任ある、みたいなさ。

存在したくないでしょ、それじゃ。

 

存在していて得する人だけ存在すればいいってなるでしょ。