自分の好きなことをしているうちは、逃げ癖が付く。自分の長所を探しているうちは、自己愛がまだ残っているってこと。

 

普通の世の中見てみたら?

自分の好きなこと、とか、自分の長所、とか、そんなこと言ってられないでしょ。

 

自分の適性はあるだろうけど、そこでさえも出来・不出来の見定めはなされる。

 

本当に何の取り柄もないって絶望的で。好きなことも長所もないってヤバいから。自然とあったり、そういう良い家庭だったり、良いDNAだったりしたらまた別だけど。

 

嫌なことをどれだけできるか、我慢できるかが人の価値。作業所ではそこを見られる。障害者ならば尚更。

 

ストイックじゃないと駄目。そんな自分の好きなこととか憧れとか長所とか、生きていくには不要。作業所や相談員の本人査定資料とかに役立つか?立たないやろ?

 

集団生活での規律を守って、健常者に近付く。それだけでいい。そんなシンプルで基本的なことだけだから。

 

好きなこととか、長所とか言ってる人っていうのは、ちゃんと責任果たして、人権もちゃんと頑張って手に入れている人だから。

 

表面だけ健常者に猿真似ってのは気持ち悪いし浅ましい。

 

人に疎まれてこそ、健常者にもっとなりたいっていう心意気が湧いてくるものだから。

 

作業所行って、先の人生成功して。それがスタンダードだから。障害を楯にするのも浅ましいけど、世の中での査定もあるから、自分の傷としてきちんと認めるだけ。他人の迷惑にならないように、障害を抑えますって。そういうことだから。

 

自分の能力や才能とか、そんなこと考えている暇あったら、内職で成果上げること。所詮それくらいしか能力ないし、自分の価値はないんだから。

今以上に落ちぶれて劣化するってことを思えばさ、ただ存在するだけでも加齢で耐用年数下げて価値下げることも思えばさ、才能や能力なんて考える暇なく、内職に精出せってこと。

 

履歴書向きにあつらえる内容と、本当の自分というのは違う。そこの使い分けがテストってこと。それを弁えられるかどうかってこと。

 

世の中のゴミでもリサイクルさせて頂けて、内職させて頂けるだけでも感謝しないといけないから。

 

自己肯定とか、自己愛とか言っているうちは、先はない。今もない。