勝ちに行ける、勝てる障害者じゃないのにどうやって生きていくのか。勝ち気な障害者でないと運さえも掴めない。

 

障害者だからと言って、普通にならないことを拒むってことは許されない。

 

世の中の規律が作業所とかで保たれている中、それが許され得るかって。「駄目なら駄目でいい」なんて人材は100%負けるから。

障害者なら尚更のこと。

 

誰にも頼らず、自力だけで這い上がるっていう実力だよね。やっぱり。障害者は、自分の魅力とかそんなこと言う以前の問題だから。

勝てないといけない世の中で、勝てないっていうのは生きるなってことだから。福祉の世界として管轄されている作業所でさえ、一般社会に寄り添ったものっていうのは必然の動向だから。

 

健常者ならばまだ可能性もあるから文句はないけど、障害者だったらね。無理かな。実力、資質、そして素質も。普通に無意識レベルでさえも揃えておかないといけない。これは超基本、前提過ぎる三拍子。

精神薬とか、体調不良に逃げているうちは時間の浪費ってこと。嫌なら自殺するか。それが世の中だから。

 

自分の意思で自殺するんだから。自由に生きていいんだから。作業所は契約自由の原則。自分の自由、自分の意思でそこに存在しているんだから。作業所や行政に泣き言を言う時点で間違いってこと。

 

健常者を支える肥料、肥やしになれるように、まあせいぜい努力すればってこと。世の中に変わって欲しいとかいうのは烏滸がましいし、分不相応。

 

人権だって努力して手に入れるものだから。虐められず、人間扱いされたければ、人権をどうその組織の中で手に入れられるか考える。ただで何でも貰えないから。

良いDNA引き継いでいるとか、そういう元々何でも道筋が揃っている、っていう場合は別として。

 

人権は無料でないの。たゆまぬ努力なの。それでやっと得られるかどうかってこと。自分が人間扱いされたければ、更に頑張るべき。それを後押しするのが相談員だったり作業所だから。