この先、更に普通に行きていくことが困難になっていく時代だから。作業所出たところで、普通にまで程遠いってことは簡単に想像付く。

 

でも、福祉の行き着く先は作業所しかない。他の選択肢がそもそもないから。

 

誰にも知られない所にある障害者社会、それが作業所。健常者の人達ってのは、障害者の方が社会のどこにいるか気になったりすることもあるだろうけどさ。

 

その答えがどこにあるか、想像付いたはず。

 

障害者の人達は、人知れず生きているっていう人も多いよ。そもそも知られようとも思っていないから、メディアに出ている人達のほうがある意味特殊であるかもしれない。中には世間からのバッシングを恐れている人もいる。もちろん中にはごく僅かだけども横暴な人も。

 

障害者同士でも、この人は苦手とか、横暴に振る舞うとか、そういう人達もいる。みんな自分の障害しか知らないものだし、軋轢も多い。

 

作業所は恐らく、変容を求められていく時代になると思う。その中で恐らく、当事者にもっと変われと言ってくる。それは確実。

そこをこれまでも重視してきたし、今後もそう。時代に合わせた障害者人材を再訓練していくっていう理念だけは変わらないと思う。

 

その中で、作業所さえもギブアップしてしまう人、ドロップアウトしてしまう人も出てくるよ。もしかしたら今後ぞろぞろと出るかもしれない。陰でそういう人が出るから決して表では分からない。

 

福祉自体の存在価値を見直そうっていう機運が更に高まったら、当事者の命とか人生、宿命とかってどうなるんだろう?

 

恐らく向かう方向が大体読める。

 

今でさえもこの状態で、これからの時代、作業所の中にいれば当事者は何とか安泰とも言えなくなる。

ありとあらゆる値段も高騰するし、(決して伸びることのない)現在の作業所での手間賃では到底赤字通所となる。

施設に借金をする羽目にもなる。それならば再訓練もしないほうが賢明ってなる。

 

そもそもが単価の低い仕事しかないし、契約したのは当事者ではあるけども。社会復帰するべきコースしか福祉にはないから。

 

この先、作業所の価値はもっと貶められるだろうし。そこの中の人なんてもっと。未来は明るいなんて言えない。障害特性の理解が更に求めらるし、自己責任も更に増す。生きるだけで重荷が迫る。

 

仮に24時間作業したところで、作業所で行う作業の単価なんてたかが知れている。そんな状況の中で、先を見ろなんて正直当事者には言えないと思う。

 

作業所で身に付けた素養や資質なんて時代の変容で直ぐに廃れてしまうし、そもそも一般社会では認められないものか、極めて常識的と思われるもの、常識以前のこととして認識されていることしか身に付かない。

 

作業所はいても地獄、出ても地獄。それが当事者の在り方ってこと。その感覚さえも鈍っていれば楽だけど、それを認識できるっていうのは途轍もない苦痛だよ。

 

だって、選択肢が閉ざされている訳だから。適性でも能力でも。