自分は身寄りないし、周囲が自分に価値を与えてくれる訳でもないから、怖いものないし、何でも言える。

 

身寄りでもいれば「存在価値あるよ」みたいな遣り取りって普通で無意識的にあるだろうけどさ。

 

別に何もなければ怖いもの知らずだし。

 

誰も心配もしないし、気にも留めないし。自治会費の未納請求とかそういうところだけだろうし。

 

身内に甘い人達からバッシングされるかもしれないけど、別に特定の個人を叩いている訳ではないし。

 

でも現実、社会復帰可能性を査定されている訳だから、そこで落ちこぼれたら終わりってこと。

 

別に当然で、世の中の規律や規範だから、覆すとかそういうことではないから。

 

地方の田舎で落ちこぼれたら、もう次はないかなって。一般就労のための道が福祉だから、そこに準じて言動できないってこと自体が許容されないことだから。

 

厳しい話だけどさ、尊厳とか何だとかそんな難しい概念言われても分からないし、そんなこと実感して当事者は生きてない。

研究している人には良いだろうけどさ。サンプル取ったりとか。

 

作業所行って頑張るなんて滑稽過ぎるし、早くまともな納税者になれっていうのが本音だから。社会回せない人に価値は無いってことだし、歳を重ねるって死期を予測した上での計算で、あと何年勤められて納税出来るかってことだから。

同じ納税するって言っても、たくさん動ける方がいいし、なるべく長く動けるほうがいい。

 

作業所しっかり言って、普通感覚を身に付けて、きちんと一般就労するっていう義務を貫徹できないとやはり肩身の狭い思いをする。

それは当然の報いで、ただでさえ肩身が狭いのをもっと狭くってこと。つくづく自分の生きる意味とかって考えたほうがいいよね。

 

もちろん表向きは相談員や作業所の(利用者対象の)人事考課もあるし諂って過ごさないといけないけど、本音はこう。

 

別に心が貧しいとも思わないし。自分が人事部だったとしたら同じ判断をしてたまでだと思うし。

誰もゴミみたいな人間は欲しくないって思うよ、自分の組織に。

 

役に立つ人間になれるのは常識以前の問題だし、そういうことを叩き込まれたから。本来の作業所としての在り方、相談員としての在り方を見せ付けてもらえないと、当事者は普通になれる機会を逸してしまうから。

 

役所の方が「生き甲斐を探す場所です」とか、通所の福祉サービスとかのことを言及していたけれど、めっちゃ笑えたよ。それだけ障害者は異質で舐められてるってこと。それに気付かない当事者も馬鹿ってことだけど。

生き甲斐なんて健常者さえも見つけられないのに、なんて贅沢な。これだから障害者って嫌われるのかな。

生き甲斐を探すなんて、馬鹿やろって。そうなるでしょ。普通は。

 

そこで悔しいって思えるかどうかが分かれ目だけどさ。馬鹿にされるのも一種のテストだから。