作業所って言うのは、「負けの確率は高いけど椅子取りゲームに参加してください」って言われることでもある。
それが社会復帰。
昇給や昇進っていうのは、いつの時代、誰にとってもおいしい話だから。椅子取りゲームでありながら、そこに負けるために行けっていうのが社会復帰。
永久に負け続けるっていうことは、一番あり得る現象だよ。
永久に勝ち続ける人はいない、なんて言うけど、作業所にいる当事者さんから見たら、永久に勝っている人達で世の中は溢れている。
そこに負けの記録がある人が加わるってことだよ。
作業所上がりが上手く健常者側の世界で勝っていくためには、健常者以上の努力と「備えている何か」が重要となる。
何の才能もないのも致命的だし、それはもちろんのこと。
健常者に近付くんだから、そもそも健常者が備えている要素を身に付ける訳だから、健常者以上の努力っていうのも普通。
それでいて年齢面とかも考えれば、健常者を凌ぐ輝きを持っていないと、まず人事の目には留まらない。
作業所の利用者さんの高齢化が問題、とか言われるけど。時が止まらないことが問題ってことか。
人事の目に留まる障害者を養成しているつもりが、結局こうなるってことか。
苦労を乗り越えた伝記のような物語を好む人事は多いけど、そういう物語も現に溢れていて、現行の作業所システムの成功例も多いから、さして珍しい話でもないから。
面接時の査定で、それなりの輝きがなければ。一般就労は困難ってこと。この暗い時代に、輝きを本能的に誰も欲しているから。
アートやスポーツ、サイエンスとかで輝くなんて、そもそも健常者でさえも恐ろしい椅子取りゲームであるのに、その辺の障害者なんて尚更。
しかも幼い時から評価、テスト、能力を判断されていく中で、適材適所に先生に采配されていく訳だから。
行き場所が流れ流れて作業所っていうのは、別にそこまで不自然な話でもないっていう見方もできるけど。
作業所でさえ、細かく適材適所って言われるんだから。人生のあらゆる機会が適材適所と言われて配属されていった先が、精神病棟や施設だったりするんだから。世間が望んでいるとは別で。
作業所っていうのは、流れて行き着くみたいな表現が妥当だったりして、それに対して共感してくれる人は結構多いと思う。