●仮に社会復帰して駄目で、また作業所戻って、また復帰しても駄目で、そのループをずっと繰り返しても大丈夫なの?

 

こういう質問聞かれるけど、頑張っていると評価される可能性は高い。だけど社会では荷物になっているし、正直社会の側は、福祉側で何とかして欲しいっていう思惑は多少はある。

 

でも福祉側は、社会に出さないといけないシステムになっているから、福祉に留め置くことは到底許されていない訳だし。

例えば、国が実態調査とか言って作業所とかになんかしていくとか、偉い研究機関の先生とかが有識者とか言って問題だと言って発言するのをテレビで見たりするだろうけどさ、これってそれだけ当事者が問題(厄介者)ということの証左

 

このループになるってことは、自分が作業所入る前に既に聞いていた。双六の駒を進める方式だから、何度でも再訓練されながら社会に出るっていう理想的なルートでもあるっていうね。

たぶんこれ以上に完璧なシステムは作れないと思う。

 

結局当事者の脆弱さが露呈してそのループに耐え切れず、結局(網の目をかい潜って)置かせてもらえる作業所に行く(うまく飛ばされる)か、精神病棟に行くか、とかかな。

 

相談員とかの側からすれば、あんなに良いカウンセリングしてるのにってなるでしょうけど。

 

当事者の意識が低い、単にループに乗っかっているだけでは社会復帰は無理で、それは受け身の社会復帰だから。主体性がないと。

そのループの中で、何を獲得するかってことだから。

 

結局自由に安楽死出来ないとかっていう歪みなんじゃないかな。居場所が欲しくても、居場所は自分で見つけるもの、福祉は社会復帰のためのもの、ってことだから。

福祉は受けないのが理想で、ぎりぎり潰れるまで耐えてから受給っていうのが理想ルートだからさ。どんな内容のものでも。

 

正直言うと、海外の方で日本にいらっしゃる方のほうが、NGOとかNPOとか、そういう人達が熱心というのはあると思う。

例外なく健常者だし、健常者を支えるって訳だから。日本に来れる海外の方々は、間違いなく健常者。

結局そういうことなの。障害者っていうのは、冷遇される運命にあるというのは時代の常。

 

必要とされる人も、そうでない人も存在しているっていうのが世界。必要とされない人には苦痛だけど。

強い人だけが存在する社会に変容する過程ではあるから、今。それが進化とか発展なのかもしれないけど。

結局選別され続けるしかないと思う。強くない限り、存在しないほうがましっていうのが本音かな。