世の中は勝ち負けだから、作業所で勝てなくて世渡りなんて畏れ多い言葉だと思って。
作業所で負け組になると言うことは、浮上の機会だから。でも作業所で負けるって言うのは相当重症。足手纏いか。
社会自体がサバイバル期になっている中で、足手纏い人員になってしまっている。早めに負のスパイラルを脱して。それが学び。
まずは自分の考えの偏りを知って、世間の動向を知って、きちんと軌道修正。誰もがしている普通を知らないからこうなるだけだから。
まずはお辞儀の角度からきちんと見直すくらいの覚悟で。一生役立たずっていう烙印で甘んじるか、それとも普通に脱皮するか。どっちか。二択のみ。
勝てない障害っていうのを、勝てる障害に変容させていく場所が作業所だから。
作業所のニーズは社会のニーズ。普通認証を受けられる人材に早くなって。それは常識過ぎてバッジやマークすらないけどさ。
社会の唯のゴミからリサイクル可能ゴミになれるようにって、常に作業所時代には自分に言い聞かせてた。
外に出られる機会もあったけど、経験不足として呼び出されて叱られたりもしたけど、それは不可欠な経験。
社会の中でリサイクル可能ゴミのレベルになってから、きちんとした口は叩ける。まずは。
「申し訳ございません」ときちんとしたアクセントと発声でまず言えることから。次に「恐れ入ります」、次に「失礼致します」。
作業所の中でも不用品で、一体どう生きていくのかってこと。作業所は不用品集積所じゃないから。本音は。
学校の先生がよく言っていた、磨けば輝くダイヤの原石。
作業所にはそういう原石が求められている。
あとは、噛まれれば噛まれるほど味が出る干しスルメみたいなさ。
砂金みたいな人が作業所は欲しい。
作業所での指導が今に生きてます、って胸を張って言えるようにならないと。作業所に育ててもらうってことだから。報恩前提なの。公費投入されているんだから。