ステージの裏手でもっと輝きたいって思うことが障害者には必要。一等星目指せってことじゃなくて。浅ましい。それは素養的にも無理だから。
でもこういうハングリー精神ないと。作業所ってそういうところ。
輝きたい、って思って、成功街道歩きたいって思う人が、作業所が求める障害者。ちゃんと勝てる障害者じゃないと、これからの時代は生きていけない。
と言うか、勝たないといけない。
人口密度少ない地方の作業所とは言え、甘えは絶対許されないし、勝ち気になれることが生存の最低条件。
勝てる障害者として自分を売りに出せないと。障害をどれだけ自分の障害として売れるかだから。自分を規格外ブランド化するってこと。レールからはズレてるけど価値あります、って言えないと。
まずどこでも採用されないし、相談員にも相手にされなくなるから。
規格品には劣るけど、自分にはこんな価値あるって、どう客観的に証明するか。しかも独りよがりではなくて、協調性あってストレス耐性あって。誰とでも戦えて。状況を味方に付けて。全部兼ね備えた障害者じゃないと。
手帳や年金はぬるま湯どころか優遇っていうのが世間の認識だから。そこもどう乗り越えるか。やっぱり本人次第。
だからと言って、精神病棟に逃げちゃうと、それはそれで逃げ癖が強まるから。集団適応力もただでさえ低いのに、著しく下がるし。
自分で自分が落ちぶれていった先に、リカバリーに更に時間とコストがかかるっていう想定が事前にできているかって言うのも評価ポイントだから。そこも見られる。
安易に精神病棟とも言えないけども。行き先がもうそこしかないってことでもあるけど。
勝てる障害、勝ち気障害にまずならないと。
作業所で負けたら人生負け、精神病棟で負けたらもっと負け。そうずっと気に留めておかないと。
負けたらリカバリーしないといけないから。勝ち組に入れるか、その界隈に置いてもらえるか、その器量も身に付けないと。
勝ち組に入って、勝ちに行くために、作業所はあるから。向上心無ければ存在してはいけないから。泥水飲みながら生きていける人こそ、社会の求める人だから。ぬるま湯依存症
症候群の障害者ならば尚更。