一般市民を敵に回している、っていう認識のきちんとある障害者をやっぱり作業所は求めていると思う。

 

市民の税金で福祉は成り立っている、って施設で復唱させられていた通り。これは事実。

 

人生ビジョン、将来ビジョンがある障害者がやっぱり欲しいし。それが足りないから駄目ってこと。

 

自信とか自己肯定感っていうのは、普通のことして与えられることだから。根拠なく持つのは唯の馬鹿ってこと。

 

このブログの読者が、どんな作業所や病棟行っているか知らないけど、厳しいことを言う人のほうが正しい。

厳しいこと言う人の言動も一理あるし。

 

寧ろそういう人のほうが必要なんじゃないかな。刑務所の看守みたいな人。そうじゃないと障害治せないし、当事者普通になれないよ。

 

ブレない正しい障害者になって社会にちゃんと出ないと。社会では底辺だとしてもそれは身から出た錆だから。健常者の背中を見て歩んでいける障害者じゃないと使い物にならないから。

 

作業所はそういう障害者を育てる場所だから。社会の即戦力人員になれなくて、どうやって生きていく?社会の即戦力人員にさせなくて、どうやって作業所を運営していくの?って。

 

立派な健常者とか、ちゃんとした障害者を仰ぎ見て生きていかないと。