やっぱり能力のある人が生きていけるためには、自分みたいな人も必要なのだと思うこともある。

能力のある人だけで社会回すべきなのだろうけど、そのためには自分みたいな人も踏み台として必要なのかなって。

 

作業所は必要悪だろうし、相談員や施設に諂って生きる障害者って、存在が必要悪なのかもしれないけど、施設を成り立たせていくためには必要なのかな。

 

精神病院は不要だろうけど、入院しないと病院支えられないし。精神薬もちゃんと飲まないと薬局を支えられないし。

 

必要悪なのに、自分が存在していて許容されているってなんでなの、って思う。

 

価値ある障害者でなくてごめんなさい、って感じで。相談員や施設が望む回答を上手く言えないから。

建前では「正解はない」らしいけど、モニタリングでは。

 

自分って生きているだけ無駄だと思う。必要悪に貢献しているっていうかさ。誰も何も存在意義を与えてはくれないし、自分で探すのも一般就労のためのステップということなのかもしれないけど。

 

生きていて喜ばれるってどういうことなのか知りたい。