作業所行くと、普通の感覚が鈍る、狂うっていうのは、普通の人から見たらそうなんじゃないかな。

 

たぶんどんどん普通の人であることのハードルは上がっている。勝ち抜き社会だし。

 

作業所で落ちぶれれば次はない、って思わないと生きること自体が絶望的。そもそも実力を磨く場所が作業所ではなくて、障害治して普通になる場所って感じだから。もっと根本的なレベルなの。

 

都会とかから離れた地方だからそうなのかもしれないけど。

 

作業所が駄目で身を落とすってあり得るパターンだけど、絶対避けないと駄目。これは処世術、駆け引き。

 

うまく施設側や相談員の機嫌を取って、モニタリングとかを乗り切る実力が必要。どれだけ諂っても、人を見るプロには敵わないから意味ないけどさ。

 

最低限、諂って誠意見せるしかない。諂うってのは一種の礼儀。それが通用するまで磨くのも作業所にいる意味。

障害者で尚更下手でバレやすいなら、尚のこと。

 

相談員や施設の眼鏡に適う人になるのが、ある意味人としての最低条件だと思う。そういう中にいたから。

 

世間が変わることを望むべきでないし、それは無理だし。作業所というのは、社会の動向に合わせて対応する受け身の側だし、そこの利用者の自分はそれに対応する。上位下達が基本で普通。

 

社会が望む人になるってどういうことか、その答えを曲がりなりにも結局作業所行っても見つけられないって、それだけ自分が馬鹿ってことなんだよね。

相談員や施設には非は無い訳だからさ。