2011311日、に起きました「東日本大震災」は私達に大きさ衝撃と共に、今までの日常を様々な形で大きく影響を与えました。被災地の方々は、今現在も困難な環境の基、不安な日々を過ごしてらっしゃいます。
また、私の様なその東京に住む者は当たり前のように過ごしてきた日常とのギャップに困惑しながら、被災地の方々の事を思い、応援の気持ちと共に戸惑いの日々を送っているところです。そして、今まで普通にしてきた日常の基準がいとも簡単に破壊されました。
 私もその日の夜、交通機関がマヒになった当日は、余震が繰り返される中、事務所で一夜を過ごしました。家族の安否を確認したくても通信機器が機能しない状態で、とても不安な夜をただテレビの画面から信じられないような被害の映像が、繰り返し映し出されておりました。 翌日、半日以上掛けて車で家に帰りました。家族の顔を見てお互い安心した気持をうまく表現できず、ぎこちない会話がテーブルを囲んで行われた瞬間は、今でも忘れられません。


洋館スタイル-旧古川邸
今までの私達は、便利で新しいものを追い求め、その物が発展するスピードに追い付くのにせいいっぱいで、汗水を流す日々を過ごしています。
 家造りに、携わる私は日々開発される新工法を勉強し、日々開発される新しい住宅設備機器の情報を集め最新の住宅仕様の家の提案に努めました。
 しかしそれは、いつの間にか住宅と言うよりも「ハウスマシーン」を造っていたんでは・・・。と考えさせられます。
 屋根裏に大きな機械をいれて、空調温度コントロールを行う全館空調や火加減調整を自在にコントロール行えるIHクッキングヒーターやお風呂やキッチンや洗面に好きな時、好きなだけ、好きな温度のお湯を供給できる給湯システム。
 今回、震災により、全て電気で動くハウスマシーンの無力さを思い知らされました。そして、家造りに大切なものとは、日々精進の基開発される新工法や新製品も大切です。しかし、優先順位的にはその先に来るべき100年・200年の年月に左右されない大切なものがあるのではないでしょうか・・・。
 例えば、家族が集うテーブルの場(団欒の場)の必要性は形こそ変え、100年前から存在し100年後をも存在するでしょう。その、変わらない大切な空間を中心にプランニングを考える事が基本として大切なことであり。
 ついては、100年・200年前に建てられた洋館のデザインを家のスタイルに取り入れる事は年月に左右されない、受け継がれるデザインとなり、今求められる受け継がれる価値ではないでしょうか。

私達は、このような受け継がれた伝統デザインをひとつひとつの作品に取り入れ、100年後・200年後の世代の人々へ届けたいと考えております。
 どうぞ、私どもの作品造りにご興味を頂きましたら、下記ホームページアドレスより私達にご連絡下さい。一件・一件真剣に取り組見させていただきます。

(明治29年)に竣工し、岩崎家の迎賓館として用いられた西洋館である。木造2階建、屋根はスレート葺き、外壁は下見板張りとする。お雇い外国人として来日し、独立後は三菱・岩崎家の仕事を数多く手がけたジョサイア・コンドル の設計である。
北面を正面とし、正面玄関部分は平面四角形の塔屋となっている。反対側の南面は1階、2階とも列柱のある大きなベランダを設ける。晩年の作品に比べると装飾性が強く、内外装とも全体のスタイルや装飾は英国17世紀のジャコビアン様式を基調としつつ、南面のベランダにはコンドルが得意としたコロニアル様式がよく表れている。一方、客室の天井装飾、床のタイル、暖炉などの細部にはイスラム風のデザインを施すなど様々な様式を織り交ぜている。岩崎久弥の留学先であったペンシルベニアのカントリー・ハウス のイメージも取り込まれている。なお、東側のサンルームは後年(1910年頃)の増築である。内部は階段ホールを中心に、1階には岩崎久弥が用いた書斎、客室、大食堂などがあり、2階には内向きの客室や集会室などがある。2階の2部屋に2種類の金唐革紙 (手製の高級壁紙)が使用されており、現在は復元品がはられている。


洋館スタイル-旧岩崎邸

コンドルは、来日の間、辰野金吾などの日本の建築家のパイオニアを育てた日本建築界の父と言っても良い存在であり、日本人の心に洋館造りの道を切り開いた恩人であります。
 17世紀イギリスのジャコビアン様式は文明開化の波に乗って、19世紀日本文化の影響も受けたアールヌーボ ーへと繋がっていきます。

 私達は、このような受け継がれた伝統デザインをひとつひとつの作品に取り入れ、100年後・200年後の世代の人々へ届けたいと考えております。
 どうぞ、私どもの作品造りにご興味を頂きましたら、下記ホームページアドレスより私達にご連絡下さい。一件・一件真剣に取り組見させていただきます。

山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。



洋館スタイル-山手234番館


私達は、横浜山手スタイルのロマンチックな洋館造りを実践します。