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なんだかトピックで今なに保険の勉強してるかわかりますかね。
差額ベッド代って知ってる人いますかね。
俺はこれもまたまた知りませんでした。
これは、入院したときに、5人以下の部屋にはいった場合、
病院側に支払わなければならない金額です。
6人部屋以上なら、もちろんいりません。
この差額ベッド、一昔前までは、病院全体で、20%以内でなければならないと法令で定められていました。
しかし、平成6年からこの割合は50%、さらには将来80%まで認められる予定です。
この差額ベッド代は、病院で自由に決められるので、病院にとってはかなり大きな収入源になるわけです。
じゃあ、なぜこのように患者不利、病院有利な制度に突き進んでいくのでしょうか?
これには、医療費増大による、国の財政悪化が大きく関係しています。
病院に長期入院すると、当然医療費が高くなりますよね。
そうすると、国の負担する医療費が高くなります。
そこで国は考えました。
「じゃー平均入院日数が短い病院がいい病院ってことにすれば、医療費すくなくなるんじゃね?」
ってことで、患者の平均入院日数が長い病院には、診療報酬を減らすという措置にでました。
その見返りに、病院の収入源である、差額ベッドを増やすことを認めたんですね。
これは、実質的な医療費負担の増大に他なりません。
医療費が2割から3割負担となったことは記憶に新しいところですが、国民見えにくいところで着々と自己負担分は増えています。
次にでも書こうと思ってる、高度先進医療についても当てはまります。
自己負担の増えるこのご時世、ますます医療保険の役割は重くなってるんですね~(一応宣伝)
これからは、知ってて得する保険の話を中心にしていこうと思います。
自分の復習も含めて。
ところで高額療養費制度って知ってました?
あたくし恥ずかしながら全く知りませんでした。
要は、
「ある一定額以上の医療費を支払ったら、それ以上は国が負担しますよ~」って制度です。
健康保険か、国民保険にはいっていれば、だれでも給付されます。
ちなみに自己負担の限度額は、
年間所得670万以上=月あたり150,000前後
年間所得670万以下=月あたり80,000前後
私の場合は、月あたり8万以上の医療費払えば、それ以上は国が払ってくれるってことになります。
ここでポイント
①医療費は月締めであること
②健康(国民)保険の対象となる費目しか対象にならないこと
です。
①について
例えば、Aさん(年収800万)が6/1~6/30まで入院し、
総額25万払ったとします。
この場合、Aさんには10万還付されます。
そしてBさん(年収800万)が6/15~7/15まで入院し、
6月に12万、7月に13万支払ったとします。
このとき、Bさんには1円も還付されません。
二人とも1ヶ月連続して入院し、支払額・年収共に同じなのにです。
まぁ、病気にかかる日付を調整できるわけもないとおもいますが。
②について
実は、還付されるのは保険の対象となっているものです。
なので、差額ベッド代や、高度先進医療などは支払われません。
(差額ベッドや高度先進医療もアツイトピックなので、後述します。)
ここまでは、火の車の保険制度が、負担しきれるはずもないんですね。
しかし、これが一番金かかったりするんですけどね・・・
この高額療養費制度、会社に健康保険組合がある人は還付の手続きをしてくれる所が多いようですが、それ以外の場合は、自分で手続きしなくちゃなりません。
5年で還付は取り消されるんで、まだの人は早めに手続きしてくださいね。
人生の目的とはなんぞや。と。
なんだか小生意気な中学生みたいなこといってますが、
なんなんだろうなと、最近真剣に考えてます。
プライベートがうまくいってないのもあるし。
悩んでるわけですよ。
もちろん、人類共通の目的だなんて大それたものではなく、
あくまで自分自身の生きる目的。
俺が中学生ぐらいのころは、この"人生の目的"ってのをはっきり持ってないと、
生きる意味なんてないんじゃないか、なんてアホなこと考えてたりしました。
確か、その時期には"幸せになること"が人生の目的なんではないかと
自己解決していたと思います。
基本的に、そのスタンス(幸せになることが人生の目的)ってのは今でも変わってません。
ただ、自分の感じる"幸せ"ってのは、年を経るにつれてかわるものだな、と感じてます。
昔は、人に迷惑かけない程度に好きなことして、欲望の赴くままに生きていたっていい。
一度だけの人生だもの、個人の幸せを追求したいじゃん!って思ってました。
でもなんか違うんですね。
自分が楽しいときに、一緒に喜びを分かち合う友人や恋人がいないと、やっぱり楽しくない。
もっと言ってしまえば、自分の周囲の人たちが幸せでないと、自分も幸せになれない。
こんなことに、最近気づくようになってきました。
これから、自分が感じる"幸せ"が変化していくかもしれないけど、
他人の幸せを自分の幸せに転化できる、そんな人間になりたいなと、思ってます。
トリアージ って単語、知ってますか?
最近結構メジャーな単語なので、知ってる人も多いはず。
これって、緊急の事故や災害で多数の負傷者がでた場合、
助かる人を優先的に治療することです。
例えば阪神淡路大震災のときなど、どこの医療機関も満杯。
なので、必然的に重傷者は後回しにし、助かる可能性の高い患者さんを優先的に治療したそうです。
でも現場の人にしてみれば、ものすごいプレッシャーでしょうね・・・
この映像を見ても、必死に目の前の患者さんを救おうという気持ちが伝わってきます。
次から次へと患者さんが運ばれてくる中で、助かる可能性が低いとはいっても、
生きている人間を見捨てるのは、想像を絶する覚悟が必要でしょう。
患者の家族もすぐそばにいるわけだし・・・
やっぱり医者ってすごいなぁ。
このトリアージ、盛んに議論がなされていて、効果をあげているようです。
ベストは、もっと医療機関の受け皿を大きくすることなんでしょうが、
いつ発生するかわからない事故に対して、対応することは現実的に難しいんでしょうねぇ。。。
事故に遭遇して、重症を負ったとしても見捨てられることを覚悟しなきゃなりませんね・・・
前回書いた話 、有名な話ですけど、俺は笑えませんでした。
この話にでてくるメキシコ人を肯定してしまうと、自分の今の生活を否定してしまいそうで・・・
ジョークですけど、いざ自分の身に照らし合わせて考えると、ヒヤリとする部分がありますよね。
この話を読んだときに思い浮かべたのが、アンパンマンの歌。
「何が君の幸せ?何を見て喜ぶ?わからないまま終わる。そんなのはいやだ!」
こんなに端的に幸せとはなんぞや!と問いかける歌もないですよね。
この歌が小学校低学年向けですから・・・
なんだかこの作詞をした人のアツイ想いが伝わってきます。
オメーラちっちぇえうちから人生考えとけよ!みたいな。
アンパンマン・・・ 深いなぁ
アンパンのくせに
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」
と尋ねた。 すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ
今まで、仏教関係の話を結構聞いてきましたが、
心に響くことなんてほとんどありませんでした。
基本的に仏教の考え方は嫌いじゃないんですが、
どうもきれい事ばかりでピンとこないんですね。
そう考えられれば苦労はねーよ、みたいな。
一つだけ、いろんな見聞きした話の中で、
心に残ったことを今回は書こうかなと思います。
「あきらめる」って言葉、ありますよね。
現代では、「諦める」と書くことが多いと思います。
えてしてマイナスなイメージ。
「努力を放棄する」って意味で使われる場合が多いのではないでしょうか。
しかし、この「あきらめる」
もともとは「明らめる」と書くそうです。
意味は、「ものごとを明らかにする」ってこと。
これを聞いてから、「あきらめる」って言葉が好きになりました。
イライラする原因になっていることも、
一皮むけばなんてことはなかったりします。
人間なんだし、イライラすることもあるでしょう。
でもそれがわかっていれば、イライラする自分にイライラすることがなくなります。
皆さんも積極的に「明らめて」みればいかがでしょうか。
- 河合 香織
- セックスボランティア
世にはセックスボランティアなる人たちがいるそうな。
この本は下心丸出しで買いました。ハイ。
ただ、予想に反して内容はまじめそのもの。
ちょいと前に話題になった、男の奉仕隊みたいなのとは違いますよ。
この本で書かれているのは、障害者に対する性的なお手伝いをしている人のことたち。
恋人がいる人はいいだろうけど、いない人、
また、自分で処理することも難しい人が沢山います。
そんな人たちに様々な形でお手伝いをしてあげる。
雰囲気的にはなんかエロそうな展開だけど、
内容はめっちゃ重い(^^;
ボランティアの人たちも、疑問もなく取り組んでるわけではなく、
当然考えるような葛藤を持ってます。
周囲の理解が得られない。
モラル的にこんなことやっていいのか。
・・・etc
そういうボランティアの人たちの志は立派だと思うけど、
自分の嫁さんや子供がボランティアやる~なんていったら、
むっちゃ止めると思うし・・・
性欲とはなんぞや、人間の尊厳とはなんぞやと考えさせられる本でした。
もし将来、浮気がばれるようなことがあったら
「いや、ボランティアしてきただけだぜ?理解してくれよ」
コレデイコウ
どの業界にも利害が生じる所には癒着ってのはあります。
もちろん坊主界にも。
その癒着を暴く!なんて大そうなもんでもないですが、
ちと話してみたいと思います。
寺と密接に関係してくるのは、
・石屋
・葬儀屋
・仕出屋
といったところです。
もちろん、一番力を持ってるのは坊主。
会えば「先生」と持ち上げられ、
時期になるとお歳暮がかかさず贈られてきます。
俺の嫁さんの実家のような小さな寺でさえ、
このカーストは厳然と存在しています。
なんでこんなに坊主がいばれるのか。
大体、知り合いに石屋とか、仕出屋がいる人のほうが少ないでしょう。
そうすると、遺族の人は大体「どこがいいですかね?」って話になる。
そうすると、坊主がどこそこがいいですよ、なんて口をきく。
紹介すると、リベートが坊主の所に入るわけですね。
いやぁ、汚い(^^;)
だから、彼らにとっては実際にお金を払う喪主や遺族よりも
坊主との関係に重きをおきます。
だって、葬儀や墓石の購入なんて、1家庭にしょっちゅうあるわけではないですから。
聞いたところによると、自分とつながってる石屋の墓石しか
置かせないなんていう腐れ坊主もいるようです。
こんな話を聞くと、最近の坊主って、
社会的役割を果たしているのかなぁ、と疑問になります。
サラリーマンの私なんかは、死ぬときぐらい
俗的なことから離れたいんですがね。。。