いくつ年を重ねようと、どれだけ多くの経験をしようと、人の心とはよくわからないものである。時には人に好かれる理由もわからず、人に嫌われる理由もわからない。今までの経験則から類推しようにも、人の心を織りなすものはあまりに複雑すぎて適用できないことが多い。人間の心はいかなるものか、古代から現代まですべての人間にとって永遠の課題であり、日常生活から高尚な賢者の言葉まで、あらゆる人間が人はいかなるものかを説いてきた。

 

 人の心が難しいのは、専ら各人の背負っている歴史の違いによってその心の動き方が全く違ってしまうことによる。同じ文化で育ってきたものの方が、お互いに共通した世界理解を持ち、似た言葉の使用をするであろうから一般に分かり合える部分が大きいと考えられているが、私はそれほど他の文化で育った人々と日常的によく接しているわけではないのでこれが正しいかわからない。ただ、同じ文化で育った人間であっても世代を問わずその行動や考えがよく理解できない人間がたくさんいることは知っている。

 

 そして同じ場所で同じように育ってきたように外面的には見えても、実はその人の趣味や家族との関係、インターネット上での活動など、見えないところで大きな差があり、それらはたいてい心の動きの大きな差を生みだす。それに、最近の傾向かどうかは私にはわからないが、相手によって全く身のふるまい方を変える人が大半のようで、人に見せる態度には共通部分もあるもののその場限りであることも多く、その隠蔽的態度は人の心の真のふるまいがそのまま自然と外に現れるのを強く妨げ、私がその人の心の動きを真に理解することを妨げる。そういった態度は感情が自然な形で外に現れるのも妨げるため、自然な感情を失わせ、ますますその人を私が理解することを難しくする。

 

 外面から読み取れる人間の心の動きは非常に大きな制約がかかっているが、それは人間が個別的動物、すなわち別々の身体を持った動物であり、共通した意識を持たない動物であり、かつほとんどの他者とともに過ごす時間が人生の長さに対して著しく小さいという性質を持っている以上、避けられないことである。人間が人間として生きるのであれば、人の心を完全に理解することは不可能であるし、部分的に理解することすらそれなりに相手のことを知らなければならない。

 

 だが、決して悲観することではない。理解できぬものを理解しようとするのは存外楽しいものだ。相手を知り、心の動きを少しずつ理解してゆく。人に近づき人と親密になっていく。まさしく幸せの道だろう。