自分に嘘をつかないとは、己の行動や判断に対して一つたりとも誤魔化しをしてはならないことである。それは、何らかの判断にあたって己の願望や希望により判断材料の一部を不必要に棄却することを禁じ、自らの行動の結果うまくいかなかったがこれは行動時にはこうするのが当たり前だった、こうするしかなかったと不適切な後付けの理由を加えることを禁ずる。己の罪を己が内で包み隠さず受け止めるという決意でもある。失敗を失敗と認識し、恥を恥と認識することが、誤魔化したいという欲求に抗うのに重要である。

 

 だが、これは言うは易く行うは難しの典型である。人は常に自らを誤魔化したいという欲求に駆られる。なぜなら、自らに嘘をつくということで目下の不安を解消し、自らに自信を取り戻すことができるからだ。しかし、短期的に自らに有益なこの行動が長期的には自らの大きな精神的歪みを招く。どんな場合にせよ嘘は真実を覆い隠すため、先々自分に嘘をついた時と似た状況になった時、自らにさらに嘘を、しかも前よりも簡単につくことになるからである。しかも嘘を重ねれば重ねるほど真実からは遠ざかっていき、現実を一層都合よく歪めて見るようになり、はじめ自分がわずかながらもこれでいいのかと思いながらもついた嘘が、紛うことなき真実と心の奥から確信して発するようになる。その人はもはや真実など見えやしない、現実にいながらまるで別世界に住むかのような人間になるのである。この極端な例を挙げるには、昨今の日本の歴史修正主義、差別主義を考えればよいだろう。とはいえ、そう極端でなければ概ね誰でも日常的に行っていることである。

 

 私は自分に嘘をつかないようにしようと随分苦労してきた。自らにつく嘘は自らの失敗、欠点、恥意識、思考停止から生まれることが多いため、これらをはっきりと認識することが自らに嘘をつかぬために重要である。だが、それでもうまくいかぬこともある。だが注意してみれば、自らに噓をつき続けていることによる自らの歪みというものが朧気ながら見えてくる。この歪みに焦点を合わせて原因を突き止めることにより自らの嘘を見抜くことができる。また、つき続けた嘘が自らに失敗をもたらすことがあり、失敗して初めて自分に嘘をついていたことを認識することもある。

 

 真実を見抜くためにはまず自らに嘘をついてはならない。そして、道徳心を持つためにも自らに嘘をついてはならない。