西郷隆盛の人生観を要約する言葉に「敬天愛人」がある。西郷は、「天」は全能であり、きわめて慈悲深い存在であり、「天」の方は、だれもの守るべき、堅固にしてきわめて恵み豊かなものとして理解していた(内村鑑三著「代表的日本人」)。
天を信じることは常に自らを信じることである。天の命ずることには全霊をもって答えなければならない。「断じて行えば鬼神もこれを避ける」と西郷は言った。また、文明を「正義のひろく行われること」と定義し、「政府は正義と大義の道にしたがうのが明らかな本務である」であると述べた。彼は幕末の激動と明治の胎動の最中をその中心として駆け抜け、日本の大変革を成し遂げた人物であったが、それに相応しく大人物であり、心が清く志が高く、危機にあっても強くありつづけた。
私には天の声でなく心の声が聞こえる。それは自らがどうあるべきかを命じ、強い強制力となって私の行動を規定する。何かに失敗したときにはどうして失敗したのかをよく分析せよ、次に失敗しないためには何に気を付けるべきかを考えよと語り、何かに成功したときにはうぬぼれるな、称賛に溺れるな、いまだ大義は成し遂げられていないのであるといさめる。日常においても自らが裏表なく誠実で謙虚な人間になるためには如何に行動すべきかを指示する。非常に大きな失敗をした時には失敗を日夜思い、心に刻まれた自身の諫言とせよという。非常に大きな成功をした時には成功の喜びよりもむしろ期待や信頼の重くなることに身震いし、勝利の美酒に酔いしれることを決して許さない。快楽を求める声には理性を持ってそれを禁ずる。
私には自らの内から発せられる声の所以を知らない。それは経験の積み重ねが示す自らのあるべき姿への接近、または社会的慣習の内面化によるもの、はたまた真に天の声なのかもしれない。ただ、心の声が私の進むべき道を指し示していることは明らかである。自らが愚かにふるまうことを禁じ、誠実であれ、正直であれ、大義に従えと命ずる。心の声は最高の道徳を提示するものであり、いついかなる危機にあろうとも心の命ずるに従えば恐怖はおのずと立ち消え、自らを忌み嫌う者にも寛容であることができる。
それは神意に近いが、無謬でない。心の声に従い失敗することがあれば、心の声の誤りを認めなければならない。心の声の発生源は批判に対して寛容であり、その誤りを認めるに躊躇はない。それに、少年が青年になり、壮年を経て老年に至るように、時がたつにつれて心の発する命令も気づかないうちに少しずつ変化するだろう。それは成長であり、硬直化であり、退廃でもありうる。
時と場合によってはその声が雑音にかき消されてよく聞こえないこともある。しかし、喧騒を離れふと一息ついたときに、はっと振り返るとあの時の行動はよくなかったと気づかせてくれるのが心の声である。