夢のようなオリンピックが始まる。開会式が近づくのと時を同じくしてコロナウイルスの感染者数が全国的に急速に増大している。おそらく多くの人は、これだけ多方面からの多くの批判があり、これだけ逼迫した情勢なのだから実はオリンピックは開かれないのではないかという、どこか現実離れしたものを見ているような不思議な感情を抱いている。本当に開会式は開かれるのか、差し迫った現実があいまいな夢のように思える。
だがこれは夢ではない。現実である。開会式が5日後に迫り、我々はようやくオリンピックが開かれるという現実を受け入れ始めた。長い悪夢が見せ続けたオリンピック中止という幻想は立ち消え、熱狂があろうがなかろうが我々はオリンピック開催という厳然たる事実を、望もうが望むまいが、目に見えざる意思によって受け入れさせられる。受け入れ方は人それぞれだろう。どうせやるのだから目一杯楽しもう、今まで反対だったけど開催されるのならせっかくだし観戦しよう、いやオリンピックはコロナの感染拡大とは関係ないんだ、ないし「おそらく」関係ないだろうし、開催してもいいじゃないか。いずれにせよ、我々はオリンピック開催という現実を認めざるを得ないし、開催に反対していたほとんどの人間も多かれ少なかれオリンピックを観戦するだろう。
しかし、目が覚めてもなお悪夢を拭い去ることはできない。悪夢はあまりに長く続き、決して癒えない傷を我々に残した。長い間えぐられ続けた傷は我々の精神の深みにまで達し、もはや完治不可能である。オリンピックで誰彼が活躍しようが、脳裏には悪夢の名残がよぎり、コロナウイルスとオリンピックの関係も多少なりとも心の中でちらつき、どうにも観戦に熱中できない。ましてやまともに予選会が開かれていないこと、海外の参加辞退者が相次いでいること、外国人選手は不完全なコンディションのまま戦うことを余儀なくされることを少しでも聞いたことのある人は、今見ている競技自体がアンフェアじゃないかという感情が心のどこかにくすぶり、どことなく虚しさを感じることもあるだろう。
そして閉会式が終われば、決して開けない夜がやってくる。まずオリンピックが人流を増大し感染を急拡大させたことを疑われ、オリンピックとコロナ対策の歪み、政治の不誠実の関係を問われると同時に、赤字はいくら出たのか、せっかく作ったのに無観客で空っぽのまま使い終わった競技場の後始末をどうするのかという問題が再燃する。アンフェアなオリンピックで得たメダルは正当なものなのかという議論も多少出てくると思うが、そもそも今の日本人は誠実であることの大切さを知らないようで、あまり話題にならないだろう。ましてや、オリンピック開催の是非が国論を二分する大問題となっているにもかかわらずだんまりを決め込み、いざオリンピックが始まれば些かの逡巡もなく出場する日本人選手らの社会的無責任さには誰も気を留めない。努力という美辞麗句がオリンピックの最大の受益者でもある日本人選手らの道義的責任を覆い隠したことは、日本人にそもそも事実認識すらされていないようで、後世でも同じ不実が繰り返されるに違いない。長い目で見れば、嘘と不実で開催を強行したコロナ禍の1年半は日本人に道徳の無意味さ、空虚さを今までより一層知らしめるものであり、日本全体で不正義という名の歪みの拡大を招き、今後数十年にわたる日本の凋落をさらに加速させるだろう。
今後数十年にわたり、我々は夜の暗闇を信頼のおけぬ灯を先導に歩いていかなければならない。不実であることは老若男女問わずあらゆる日本人に行動信条として染みついてしまった。夢は覚めれば現実に戻れるが、永遠に続く夢はもはや現実である。日本がどうあるべきかという大局観、皆が賛同し魅了されるような日本のあり方というものが現れる兆候はない。暗がりの中、先頭が右往左往するのと一緒になってあたふたする人、自分だけ助かろうとして周りの人から物資を奪う人、何とかみんなで暗がりを脱しようとするが多くの人を強く引き付けることができず結局明るみに出ることができない人、いろんな人がいることだろう。今までもそうだ。
つまるところ、オリンピックというものは長い悪夢の中でたった2週間だけ目が覚めて、悪夢を引きずりながら選手の活躍に胸躍らせて心震わせ、それが終わればまた眠りにつくといった夢の中で見る夢のようなものである。ただ夏の夜の夢のごとし。
※2021/7/19 第4段落3行目小改変、4、5行目追加