昨日の夜、布団に入ってちょっとした物理学の問題を考えていた。最近の私のお気に入りの問題である。これを考えているうちに、物理学についてのあるテーゼ、概念の持つ意味が一層深まり、その概念の意味が、関連する物理学の問題についてある種の対応関係を導くのではないかと思い至った。
久しぶりの良い発想であったが意識下では少し冷静で明日計算して確かめればいいから寝ようと思っていた。おそらくこの発想に行き着いた時点で床に就いてから2時間近く経っていたように思うが、しかしどうにも眠ることができなかった。表層意識では冷静沈着だと思っていても、内心幾許か興奮していたのだろう。
結局かなり時間がかかって眠れたものの、朝起きると寝不足の時にみられる体のだるさにより問題に取り組む意欲が損なわれた。今日はどうにもならないと思い至って、上の発想の検証は明日以降に行うことにした。いい発想であることは紙に書かずとも明らかに思えるのだが、どうにも体が重い。検証には少なくとも数日、長ければそれ以上の時間がかかりそうだから、はっきりと感じずとも、内心どこか面倒くさく思っているのかもしれない。
私が科学について何かひらめくときに一番多い思考パターンは、あるべきものがあるべき場所になければならないという思考法だ。既存の概念の理解から論理的に導かれ、今まで見たことのない主張が得られるのである。理性でもって既存の概念の理解を深めていくと、既存の知識体系とそれらを結ぶ意味連関の中に今まで知られていなかったが論理的にはなければならない主張が見つかる。その新たな主張を作り出して初めてそれが今までの理解で欠けていた知識体系の中にある穴であることをおぼろげながら認識し、その穴に埋まるものがその主張なのではないかと考えるのである。主張が本当に正しいのかどうか、本当は推論の方が間違っているのかどうかはこの時点で明らかでないため、後に検証されなくてはならない。
寝台の上でする発想は完全なる理性のもとで導かれるものとはいいがたいのに、椅子に座ってする発想よりもずっと良い発想をすることがほとんどである。暗闇の中、静寂の中、穏やかな精神の中で理性は研ぎ澄まされるから、そして私自身幼いころからずっとベッドの上で長い時間考える習慣があるからだろう。発想とは、実に摩訶不思議なものである。昨晩閃いた時、私はなんとも言えぬ感情、少しばかりの解放感を得たが、これも発想の為せる業なのだろう。
※2021/6/13 最後の段落の最後の行を追加