今日は自らへの自戒と教訓を兼ねて、知識を行使する勇気について考える。恥ずかしながら私は今まで知識をどう獲得するか、どのように思索を推し進めるかばかり考えていて、現実で知識を勇気をもって行使することを重視してこなかった。しかし考えてみれば、自らの思索で得た結果が現実と相反することはよくある。
それに歴史を振り返ればマハトマ・ガンジー、バートランド・ラッセル、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのように、みずからの主義主張をただ観念的なものにとどめておくのでなく、不誠実な現実を打破し現実をより望ましい姿に変えていく行動を行っていたものがたくさんいる。そしてこれは決して平和運動のみならず、既存の学説を否定したり全く新しい概念を提唱したりする学問上の革命と言えるような出来事など、あらゆる精神活動について言えることなのだ。
高校生のころから、私の中には自分の知性が現実に全く生かされていない、現実をより良くすることに貢献していないという焦燥があった。今でもそうだ。自然を、少なくとも物理学で一般的に取り扱う程度の領域を俯瞰的に見渡すべく自らの自然知識の体系を昇華させるというどうしてもやりたいことがあり、そのためにとても多くの時間が必要だった。時間が惜しかったにせよ、行動を恐れたにせよ、世界を観察する過程で得た知識、そして自らの考えを行動に移すことに躊躇していた。
第一の目的を優先して現実に働きかけることを怠ったことが正しいことなのかは私にもわからない。ただ、自らの考えを行動に起こすのを恐れることが、知性を信じる人間のあり方として間違っていることはわかる。いまだ知識と勇気についての自分の考えはまとまっていない。しかし、おそらくなんらかの現実をよくするための行動を起こさなければ知識を行使する勇気についての深い見識は得られないだろう。
だが、現状ですら物理学全体の包括的把握、世界にある諸問題の把握と思考など、ぎりぎりまで興味を広げているし、哲学や歴史など、本当は本を読んだり他のことを忘れて考えたりしたいことをかなりあきらめている。それでも行動の余地はあるか、私はこれから考えていきたいし、仮に今は無理でもいずれは自らの知性が世界をほんの少しでも良いものにするよう行動を起こしたいと思う。