家にいる時間が長いと、身体が感じる季節の感覚が薄れていく。外界から感受する刺激は減り、季節を愉しむことが難しくなる。たまに遠くへ出かけると春の桜、青々と生い茂る木々に出会ってはっと驚くことがあるが、それでは春の季節を謳歌するには足らない。

 

 季節の風物をたまにしか見なくなって気づいたことがある。桜並木を一度だけ通っても心に刻まれる驚きは一時的なものであり、何度も桜を見ることによってはじめて季節を心の奥底まで感受することができるのである。たまの旅行で京都に行って観光名所を巡っても、1000年続く京文化に自らの体が内応しないのと同じことだろう。

 

 とはいえ、長く外に出ないことで新たな発見があった。家にいると季節感を持った刺激は非常に少ない。だが、わずかなりとも季節がどこかにないかと探していたところ、部屋の温かさと湿り気が思った以上に季節を物語ることに気付いた。部屋にいる時間が長いと、時計を見る機会が多くなる。私の机の上にある時計には温度計と湿度計がついており、外の温度や湿度よりも数字が緩慢に変化する。北から寒気が流れてきても家の中の温度はそれほど下がらないし、真夏の陽気の中でも外ほどは暑くない。冬には家の中にいても手がかさかさするが、湿度はそれほど下がっていないようである。最近のように雨が多いと湿度はずいぶんと高くなるが、それでも72%程度が関の山で、それ以上上がることはない。家の外へ出ればやることがいっぱいで、空気の温かさ、湿り気を肌で感じることに気が向いていなかったようである。ささやかな発見だが、今の単調な日々に変化をもたらしてくれる。

 

 そんなことをしていると、いつの間にか温度や湿度の変化をずいぶんとよく感じられるようになった。部屋の空気が変わったと思うたびに時計を見ていたら、1度の温度の変化、5%の湿度の変化に気付くようになった。外では朝、昼、夜と天候が大きく変化するため、微細な天候の変化に鈍感になっていたのかもしれない。強い刺激を受けないことで、逆に弱い信号に気付くこともあるのだとしみじみ思う。

 

 そんな感覚を大切にしていきたい。家にいる時間が長く、人と直接会う機会が減った結果、自分の身体の繊細な感覚、人の感情の機微を読む力が少しずつ失われているのをひしひしと感じている。どうにかしようと思っているのだが、なかなかうまい解決策が思いつかない。体の各部分で感じる微細な感性が徐々に失われているのと対照的に、少ないながらも体全体で感じる新たな感覚が生じたのは本当にうれしいことだ。

 

 長雨が続くが、まだ梅雨には入ってないらしい。春と夏の間のこの時期にしかない特徴、長雨と春よりも少し高い温度、そのじめじめとした気候は割合愉しいものだ。