ひらめきとは不可思議なものである。どこからともなく表れて抱えていた問題を解決してしまったり、時には理解不可能な結論を導いて困惑に陥れる。我々が既存の概念から外れたものを作り出そうとするとき、長い時間をかけて考えていてもなかなかいい案が思い浮かばないことが多々ある。ひらめきは、問題を解決しようとあれこれ考えているとき、そうではなく問題とは関係のない全く別のことを考えているとき、そもそも全く問題がないと思っている既存の領域のことについて考えているとき、突然現れる。
ひらめきにも、わかりやすいひらめきと、わかりにくいひらめきがある。思いついた瞬間にその有用性と利用手段、ないしその発想の根拠を理解することができるものは簡単だ。しかるべき場所にそれを適用することができる。だが、後者は真に難しい発想で、そうはいかない。あまりにも既存の概念からかけ離れていてそれの意味するところが分からない、それを支持する根拠はあるが、それに反する証拠もたくさんあるように見え、正しいと確信することができないといったことが起こる。
わかりにくいひらめきでも、それを決定的に否定する証拠がないのであれば、その発想が正しい根拠を既存の事象の中から探す、ないし正しいと仮定したときにどのような結論が得られるのかを考えてみる。他の人に相談するのもよい。それらもうまくいかないのであれば、いずれ解決するだろうと期待をこめて、発想を寝かしておく。この場合、その発想を文字や絵に書き留めておかなければならない。時間がたつにつれて発想自体を少しずつ忘れていくだろうが、強烈な印象を残した発想は長い間心の片隅に据え置かれる。いつの日か解決する日が来るかもしれないし、来ないかもしれないが、その時の自分には到底わかりえないことだ。
常日頃から考えているもの、そしてそれに関連することもよく考えているようなものについて、良いひらめきが生まれやすいようだ。ここでいう良いひらめきとは、その人が求めているものを導くひらめきである。そして、本当に良いひらめきが生まれたときの喜びは至上のものだろう。