『理論物理学教程』は、理論物理学の数ある古典的な教科書の中でも有名なシリーズである。その文体は他の教科書と比べても独特であり、物理的な厳密性に細心の注意を払って記述されている。読者はその難解な議論を追うのに苦労するだろうが、注意深く読めばその議論のほとんどは物理学的に妥当な論法で構成されていることがわかる。ランダウの天才が現れた教程の中での独特な議論は物理学の諸原理や定理にのっとって進められており、既存の議論よりも厳密であったり、短く済んだりすることがしばしばみられる。

 

 また、『場の古典論』にみられる特殊相対論をベースにした真空中の電磁気学の理論の展開など、他の本にはない構成が見られたり、『量子力学』では距離の2乗に比例するポテンシャルエネルギーの下でのシュレーディンガー方程式の解を考えるといった独自のテーマがみられる。そして、すべての巻を通して理論の適用範囲の議論、すなわち系の物理量のオーダーの議論を多くしていることが特徴的である。

 

 私はディラック『量子力学』、ファインマン物理学、ゴールドスタイン『古典力学』、ジャクソン『電磁気学』、キッテル『固体物理学入門』など、物理学の古典的名著と言われる本を多く読んできたが、ランダウと上記の前二人のような物理学で傑出した才能を持つといわれた天才の書いた本と、それ以外の物理学者の書いた本では際立って異なる点がある。それは、議論の美しさと独自性である。天才の書いた本を読むと、彼らが物理学の常識的理解とは異なる独自の理解をしており、それでいて常識的な物理学の議論で導き出される結果と同じかそれ以上の結論を、時にはより早く厳密に導いていることに気付く。読者は彼らの思考を追体験することで常識的理解を超えたより広い視点で物理学を理解することができるし、それは概して楽しいことだろう。

 

 また、天才の書いた本にみられる特徴は、数式を用いない文章での議論を多くすることである。数式を明示的に用いないが、物理学的描像を頭の中に思い浮かべて議論する。思考実験を用いることも多い。読者がその議論についていくためには数式をただ追うのとは別の能力が必要であり、物理学の深い理解が必要である。

 

 そういった天才の書いた本を読み比べることで、それぞれの天才の個性を知ることができる。ランダウとディラックの『量子力学』を読み比べると、ディラックのほうが物理的・数学的に厳密であることを重視しており、量子力学の理論を展開する上で必要となる数学の諸定理をならべ、証明している。それと比べると、ランダウの量子力学は、他のあまたの教科書よりも厳密であるがディラックよりも大雑把に議論を進めていることがわかる。しかし、議論が不十分に感じるところがあっても抜け落ちているところの多くは重要でないため、議論から導き出された結論が正しいと確信できる。

 

個々の巻は

  1. 力学(第3版)
  2. 場の古典論(第6版 日本語版書名は場の古典論―電気力学,特殊および一般相対性理論)
  3. 量子力学(第3版 日本語版書名は量子力学―非相対論的理論)
  4. 量子電気力学(第2版 日本語版書名は相対論的量子力学)
  5. 統計物理学(第3版)
  6. 流体力学(第3版)
  7. 弾性理論(第4版)
  8. 媒質中の電気力学(第2版 日本語版書名は電磁気学)
  9. 量子統計物理学
  10. 物理学的運動学(日本語版書名は物理的運動学)

からなり、計十巻ある(Wikipediaより転載)。これを読めば物理学の諸分野の入門的な知識が得られるほか、理論物理学の研究をするための思考力、計算能力が養われる。私は去年の7月からこのシリーズを読み始め、『力学』、『場の古典論』、『量子力学』、『統計物理学』、『流体力学』上巻、『弾性理論』、『電磁気学』を読んだ。今は『流体力学』の下巻を読んでおり、これで理論物理学教程のうちランダウが書いた7巻をすべて読み終える予定だ。

 

 ランダウが著者に入っていない巻『相対論的量子力学』、『量子統計物理学』、『物理学的運動学』を読むのには注意が必要である。私は『相対論的量子力学』の冒頭100ページほどを読んだが、ランダウが書いた巻に比べて物理学的に妥当と言えない議論が多くあり、読みづらかった。私はこれら3冊を読むのをとりあえず後回しにする予定である。




※2021年6月23日 第2段落1行目「ベースにして真空中の電磁気学の理論を展開する」を「ベースにした真空中の電磁気学の理論の展開」に変更