個人の判断は、常に独断である。それがいかなる外部要因に影響されていたとしても、自らの考えを決めるという行為についてその行為を起こす主体が自分である限り、決断をするのは必ず自分一人である。そうでなければその行為は個人の判断とは言えない(ただし、個人がその判断の責任を免れるとは限らない)。そして、個人の判断が独断であるが故にそれは常に公平を欠く可能性を含む。個人の生きる社会の常識やコミュニティ内での共通認識は個人の判断に大きな影響を与えるが、それはコミュニティで生きるためのルールを与え、コミュニティに適合するための手がかりを与えると同時に、往々にして論理的に正しくないもの、現実に反するものを含むし、たとえ反証されずとも支持する根拠に乏しいものも含む。

 

 世界を見渡せば、人々の生活が曲がりなりにも豊かになり趣味嗜好に費やすための金銭的・時間的・精神的余裕を有する人間の割合が増え、人口自体も増える中で、多種多様な文化・嗜好が生まれてきたこと、昔からある諸地域の文化や歴史に光が当てられたこと、個人により多くの政治的・社会的権利を与えることを求める動きが高まりごく一部の人間による政治から多種多様な大衆が動かす政治へと変化しつつあること、科学技術の発展により大衆に馴染み深い工業製品で大衆がその動作プロセスを理解することがますます困難になっていることが、世界を一層複雑にしている。だが大衆の動きを見ていると、より複雑になった社会をむしろ単純化してとらえる傾向が強まっているように見える。本来なら社会が複雑になったのであれば、文化・経済・政治・歴史・宗教・科学などに分野別でわけ、必要であればより細分化してそれぞれを理解すると同時に、社会の全体像を見渡してそれらを関連付ける構造を知ることが大事であるのに、世界の大まかな動きの原因をごく少数の影の支配者や特定の政党に結びつける陰謀論がはびこっている。ただし、特定の民族に結びつける陰謀論、つまり差別主義的な陰謀論がより強まっているかは私にはわからない。これらはネットにそう書かれていたから、有力者がそれを信奉しているから、自分の友達が言っていたからといったことを根拠にしているのだろうが、判断の公平性・妥当性を著しく欠いているだろう。

 

 私はこうした陰謀論が現実に照らし合わせて間違いであると断言するが、理性に基づいて合理的に行ったと信じる判断であっても常に独断であるが故の間違いの可能性をはらみ、実際に私も多くの判断の間違いを犯してきた。特に、自分に都合よく解釈し、ひとりよがりな判断をすることが失敗につながることが多かった。これは他者に相談しないこと、他者との意思疎通を図らないこと、批判的検討が足りないことなどが原因だろう。独断のまどろみに陥らないためには、常に自らの考えを批判的に検討すること、他者との意見交換を怠らないこと、判断に関連する知識を集めること、社会やコミュニティの共通認識と照らし合わせることが重要である。意見交換をする他者は信頼のおける人間、より多くの人間であればあるほど望ましい。

 

 社会の中で暮らす人間は独善的であるべきでない。だが私もそうであったように、人間はいつでも独善的になりうることを認識しておかなければならない。