他者とのかかわりの中で、相手が自分に対して想定していた範囲を逸脱した行動をとってしまうこと、ないしわかっていながら逸脱した行動をとることがある。その行動によって相手がいかなる感情を持ち、判断をするかはその行動の内容が一般的な観念、倫理道徳と照らし合わせることによるところが大きいが、そればかりでなく自分と相手の関係性、相手の背負っている歴史といった長い時間スケールでのことや、その行動を起こした場所、時間、その前後の行動との関連といった短い時間スケールでのことも考慮される。

 

 自分の考える相手の想定していた範囲と相手の想定していた範囲の齟齬は、主に互いに自らが常識と考えていることや互いの関係において自らが許容範囲と考えていることの違い、自分と相手の関係性に対する互いの考えが異なること、相手の背負っている歴史を知らないことにある。前者を後者に近づけようと相手の考えを理解する努力をすれば、時間はかかるものの、はじめ相手の心の表層すら見えなかったものが少しずつ奥深くまで見えてくるだろう。しかし、相手の心の深くまで理解できるのは稀であるし、理解できたと思ってもそれが部分的であったり間違いであることは多々ある。親や兄弟姉妹でさえその行動の背景にある心の内がわからないこともある。

 

 真に理解できたと言えない状況で逸脱した行動をとらないためには、安全のために想定範囲の境界近くの行動をとらないことが賢明である。しかし、あえて逸脱した行動をとるのであれば、それによって相手がいかなる感情を持ち、行動するかを十分に考慮しなければならない。倫理的に十分許容される行動ならば問題ない。倫理的に逸脱しかねない行動である場合、相手がその行動に対して自由に行使できる拒否権を持っていないのであればその行動を行うべきでない。しかし、倫理的に逸脱しかねない行動を自由に拒否権を行使できる相手に行うことについて、私にはその行動をとってよいかどうかはよくわからない。ただ、相手がその行動によって傷ついたのであれば、それを癒すための適切な行動をしなければならないことは確かである。

 

 想定範囲を逸脱した行動について以上のように述べたが、私はまだまだ未熟ゆえ、自分の都合よく相手の心を解釈し、多くの失敗をしてきた。その中には人を傷つけたことや傷つけたであろうこともあった。後悔先に立たず。上記に従って行動するときに都合よく相手の心を解釈することは失敗のもととなるため、ゆめゆめ注意しなければならない。悲しみ、怒り、恐怖といったものから、喜び、安心、感心といったものまで、感情は多様性と程度の幅広さを併せ持つが、想定範囲を逸脱した行動をとる前に相手がその行動に対してこれらの感情のうちいかなるものを感じるかを、自戒も込めてよく注意しなければならない。