科学とは、本来有限の対象しか知りえぬ我々が、自然という無限の対象を操作し、その結果として生じた有限の対象を用いて無限の対象を理解することである。すなわち、科学の定義はその内に科学の方法を含んでいる。
自然はその無限性故に我々人間がそれを直接理解することは不可能である。しかし、有限の対象は部分的にせよ自然を表現していると考え、それを観察し、何らかの手法を用いた推論を行うことで自然を表す仮説を提案することにより、我々は自然を間接的に理解することができると考える。我々が観察できる有限の対象が無限の対象を表現しているという命題自体が仮説であり、証明不可能であるが、経験的に正しいものとみなされる。我々が提案する仮説はその仮説から導き出される予想の正しさの実験的検証、または他の仮説との整合性の検証にさらされる。当然のことながら、種々の仮説はしばしばこれらの検証によって否定される。すなわち、予想と実験との食い違いによる否定、ないしほかの仮説と整合的でないことによる、いずれかないし両方の仮説の否定である。ただし、仮説を否定するとした実験が、その仮説を誤って解釈しているとして否定になってないとみなされることや、実験に用いた別の仮説が否定されることがあることに注意が必要である。ある仮説Aが別のある仮説Bと整合的でないが、別の仮説Bに特別な条件Cを設けた場合に成立する場合がある。この場合、元の仮説Aは棄却され、元の仮説Aにその条件Cを加えた新たな仮説A+Cが仮説Bと整合的なものになり、生き残る。
いかなる科学の定義も必ず有限の対象を用いて無限の対象を理解するということ含むが、推論の方法、科学的仮説の条件、仮説が否定されたとみなされる条件などにあいまいさがある。推論の方法を除いても、これらを正しく決定することができるのかは私にはわからない。推論の方法は科学という言葉が醸し出す雰囲気とは打って変わって人間臭さが現れ、すでに確立した理論を援用することもあれば、単なるひらめきによるところもある。ひらめくためには、普段から重要な理論をほとんど助けなしに独力で導けるようになっておき、理論への理解を深めておくことや、種々の理論同士を関連づけて覚えておくこと、さらに普段から自然について理論を用いて深く考察しておくことが必要であろう。