人類の夢、それは未来のより良い生である。我々は、未来での安寧、地位の向上、楽な暮らしを願い、神に祈りを捧げ、現状を保ち向上させるよう努めてきた。親は子に自分より良く生きるよう願いを託し、その成長をあらゆる面から手助けする。現世で病や重税、災害、戦争といった苦しみに見舞われた人々は来世での安寧を求めて神に祈りを捧げる。またはこの苦しみからの解放、すなわち救いを神に求める。現世で自らの思想や芸術、行為が世間に受け入れられそうにない人間の中には、未来で自らの行動が評価されることへの期待をよりどころとして現状変更の働きかけをする。たとえ自らは死んでも、未来を生きる人々がよりよく生きられる、ないし彼らの精神に自分の行為が刻み付けられるのであれば、その願望は成就されたといえよう。

 

 昨今の日本の人々は不確実な未来、落ち行く国、道の先の暗がりを恐れて現状が変更されることを極度に恐れるが、本来未来とは我々が希望を託す先であり、我々が夢見る世界である。先の世に夢を見て、今の世で支度をする。我々の未来の想像図が理想であり、今の世界の姿が現実である。勘違いされることが多いが、現実主義は決して理想を持つことを否定するものではない。現実主義にせよ理想主義にせよ、我々の目指す目的を見据えて動くことが長期的に一貫した行動をするのに不可欠である。目指す目的がすなわち理想であり、我々の夢である。子供の頃の夢は大抵叶わないものだが、成長するにつれて新たな夢、ないし夢という言葉で表すほどではないが、家庭を守ることやそれなりに頑張って生きるといった、漠然とした目的が生まれてくる。個人の夢は砕けてバラバラになってもまた一つの塊としていつの間にか存在していることがよくあり、その夢が自己同一性を支えているのだろう。

 

 世界の夢は、決して構造としての社会や共同体が持っているものでなく、個々人の夢の集合体である。世界には、乗り越えなければならない問題が多くある。しかし、その問題に取り組みことによって少しでも状況が改善し、小さな努力の積み重ねによっていつの日か解決すると皆が意識的ないし無意識のうちにに信じるからこそ、問題解決の取り組みへの強い動機が生まれる。

 

  世界の夢を語るとき、人によってはより良い生を生きる対象がある特定の集団に限られることがある。だが、それでは集団から外れた人を食い物にするなどして苦しめることになりかねない。私は世界の夢に、全人類が等しくより良い生を生きる希望を託そうと思う。