個人主義の台頭やインターネットは、人間に自らの人生のより大きな選択権を与えるはずだった。だが、現実には社会のセーフティネットとしての役割を果たしていた共同体を破壊して個人をより安全志向にし、あふれる情報に圧倒されて情報を公平に判断することを拒否することにより自らの視野を狭める人間を量産している。それどころか、人間の社会性を破壊し、人間に孤独感をもたらしている。そして、孤独感への以前から存在した原因に加えて、コロナウイルスの蔓延が、人々の孤独感をより強いものとした。自分はこの世界で誰からも見られていないのではないか、世界に見捨てられたのではないか、この世界に自分一人しか存在しないのではないか。孤独は多くの場合人間の精神に悪影響を及ぼすものであろうが、どうして我々は孤独になったのかを以下で考える。

 

 個人の自由と権利を保障する個人主義は個人に国家の行く末を自ら考えるよう仕向けたものの、日本では新自由主義と相まって共同体の崩壊を導いている。共同体は、それを維持するための無償労働や個人から資金を集めて運営するといったような形で、個人の自由意志での協力、場合によっては強制的な協力や個人財産の提供を通じて成り立つものである。しかし、新自由主義は個人の利益の最大化を求め、共同体のような各人の持ち出しの活動、自らでなく他者のための活動を自らの直接の利益にそぐわないものとして否定する傾向がある。新自由主義の背景には個人主義の徹底があり、個人主義が主張する個人の自律が民主主義の要であることは確かだが、今や法や規範という形で個人の領域に踏み込まざるを得ない共同体を破壊しているのが実態である。その結果、人間の社会性が弱まり、他者とのつながりを提供する場を失った人間が孤独を感じているのだろう。

 

 インターネットの普及は他者との間のコミュニケーションを即時的なものとした。すなわち、今までは個人が特定の他者と会話をするためには直接会って話す、手紙を書くなどせねばならず、話したいと思った瞬間に話せる状況になかった。電話をかけるにしても携帯電話の普及していない時代には相手が電話をすぐにとれる環境にいなければならなかった。今や我々は電子メールやSNSなどを通じて他者と話したいときに話すことができるようになり、それが会話から希少性を取り去った。また、人の顔を見ない文字のみの短文を用いた会話は会話をする相手をかけがえのないものから他の人へ交換可能なものにした。おそらく、我々は相手によってSNSの文体を変えることをあまりしないのだろう。故に他者との関係は、強く意識に残る経験を共有するのでない限り、交換可能なものという考えが多くの人の無意識にあるようだ。それが他者との関係を希薄にし、人々がつながりを感じることが難しくなっている原因である。

 

 コロナウイルスの世界的蔓延によって現在がこの人間関係の歴史的変化の過渡期であることが誰にでもわかる形で明示された。すなわち、ほかの人間が仕事や勉強をしている光景を見なくても支障をきたすことのない人間と、他者とともに仕事をしたり、ともに授業を受けていたりすることを、同じ現実の空間の共有など明示的な形で感じることができないが故に孤独を感じる人間の両者が今の世界に混在することが明らかになった。むろんコロナウイルスが人間精神に及ぼした負の影響は孤独だけでない。友人との対面での交流を絶たれ、社会的な自粛の抑圧にさらされた人間の感じる負の感情、自らも感染するのではないかという不安、今日明日の生活の苦しみ、政策への不満、矢面に立たされる恐怖。これらの中には解決可能なものもあるが、孤独を和らげることはできても回避することは、感染を防ぐうえで不可能である。

 

 おそらく、すべての人間がこの人間関係の歴史的変化を孤独を感じない形で受け入れることはないだろう。ならば、孤独に苦しむ人間を癒す手段が必要である。それは何か。次回に述べる。

 

※2020年12月12日 第一段落「現実には」の前に「だが、」を加筆