我々の時代は知性を欠いている。これは、言葉に対する敬意の喪失によるところが大きい。最近、食言を繰り替える人間があまりにも多い。自らの発言が過去の発言と食い違うこと、自らの発した言葉に一貫性がないことに罪悪感を覚えない人間がここ数年間で増えた気がする。彼らは自らの発する言葉の意味をその場で立ち止まって考える、ないし後で顧みることがないのだろう。彼らの論理性の欠落がいかにして生じ、それを許容する精神が生まれたのかは、重要な問題であるが今の私に語る能力がない。嘘を許容し、公に誤魔化しをすること、これらに対する心理的障壁を下げた原因がどこにあるかはよく論じられている。重要なのは、その原因を決して一か所に求めてはならないということだ。その原因は、政治にあり、インターネットにあり、我々の生き方の変化にある。民主主義の零落はもはや民主制の国家を独裁制へ移行しかねないほどまでになったが、一部の民主主義国家の首脳部が民主主義を軽視している、ないしその選挙結果によって選出された我々の成すことは皆民意を反映していると、それが建前であろうが主張するのは、そう主張しようとも自らを選出した支持者らは離れないと考えているからに他ならない。民主主義を軽視する首脳部に一票を投じた人々は、そうでなければもはやその矛盾が明らかになった新自由主義を掲げる候補者に投票しなければならないということもあるのかもしれないが、民主主義にたいする敬意が足りないのだろう。