核兵器は、現代の人類が直面し続けてきた地球規模の脅威である。核戦争の危機は核保有国を含む国同士での緊張が高まるごとに人々の脳裏に浮かび、我々はかつてのチェルノブイリのような地球規模での放射性物質の拡散の脅威に怯える。20世紀の後半は冷戦の時代であり、同時に核戦争の脅威に怯え続けた時代でもあったが、その脅威は21世紀になってメインプレイヤーを変えて今でも続いている。台頭する新興国が古き大国に挑戦するのは歴史的必然と言えるほどに繰り返されてきたことであり、新興国が自国の脅威や国の統一などを建前として自ら戦争を仕掛ける可能性は、たいていの人々が考える以上に高いのかもしれない。戦争の脅威が近づくごとに核保有国は公然と核の使用をちらつかせ、そうでなくても核の先制使用は、建前がどうであれ常に核保有国の選択肢の一つに入っているはずである。
では、核の使用は誰が決定するのか。核戦争は常に核の冬、すなわち全地球的環境変動による太陽光の遮蔽に伴う気温の低下の脅威を伴い、それは人類含め地上の大型動物の絶滅の可能性をはらむ。ゆえに、核の発射に対する責任の所在は決して曖昧であってはならない。アメリカでは核のフットボールに代表されているように最終的責任は大統領にあるとされていると推測される。しかし、核のフットボールなどを用いてアメリカ大統領が核の発射命令を下すというのは本当に正しいのか。例えば、キューバ危機では核保有国間での戦闘準備態勢がとられている中で、海中のソ連潜水艦に対して米軍の爆雷が投下され、ソ連潜水艦内では核魚雷の発射が検討されたという有名なエピソードがあるが、我々はこの話に注目するとき、検討したのはあくまで潜水艦乗組員の幹部らであって、フルシチョフでないことに注意しなければならない。考えてみれば当然のことである。海中では短波長の電磁波が速く減衰し、通信手段として実用的でない。ソ連本土と長距離通信を行う場合には、海底調査でやられるようにケーブルをつなぐか海面近くに近づかなくてはならないだろう。故に本土に核発射の確認をとろうともできなかったのだろう。同様のことはアメリカとソ連が逆でも、または他の国の組み合わせでも十分に起こりうることだし、当然21世紀でも起こりうる。現実的に考えて、米軍はこのような場合に、特に平時でなく戦時ないし準戦時においては核発射の権限を現場に移譲するのではないか。アメリカ大統領が寝ているなど即座の判断ができない場合は当然あるし、そのわずかな間に敵国の攻撃は、敵国の領空近くを飛ぶ米軍機を撃墜し、敵国に近い米軍基地を壊滅させうるからだ。そして、実際にソ連ではこの権限の委譲が行われていたことがこのエピソードからわかる。同様の議論はは米国だけでなく、当然ほかの核保有国でも成り立つ。
だが、この権限の委譲は非常に危険である。偶発的な核戦争の危険を増大する上に、核発射の責任の所在をあいまいにするからだ。この権限の委譲は、特に本国が壊滅したときに報復としての核攻撃を行うゾンビのような計画でこそ真価を発揮する。このような計画が存在する場合、核攻撃においてまず責任を負うべき国の首脳部が存在しない可能性があるし、命令に従って実行した現場が核発射の責任を負う覚悟があるかは疑わしい。まさに、無責任体制のまま核の冬による人類滅亡につながりかねない行動をとるわけだ。
核の権限移譲の危険性を論じた。当然、大勢の人を殺し、広大な土地を放射性物質で汚染することなど、核使用の他の問題はあるし、各所で論じられている。核保有国は、核の冬という不要な脅威を核非保有国に押し付けている。核拡散防止条約は核を独占することを国連常任理事国のみに認めたが、核は世界各国に拡散している。これには、特定の国にのみ核保有を認める不条理、核保有国が核の使用をちらつかせた恫喝的な外交を繰り返してきたことも関係しているのかもしれない。非核保有国にあっても核保有国の核抑止力に期待する国が多くあるが、核保有国の核の傘は、翻って先んじて核の雨を降らせうるものであることに、よくよく用心しなければならない。