人は弱さを見せることを恐れがちだ。自らの弱みを他者に見せるまいと話題をそらし、ごまかしの言葉を口にし、口を閉ざす。他者に自らの弱みを見せることは、それが自らにとって致命的であるほど勇気を必要とする。人が腹の内を明かし、よき同胞として強さも弱さもひっくるめて語り合うことは、大人になるにつれて難しくなる。年を重ねれば重ねるほど両手を背に回して隠し持つ弱みは増す一方であり、他者に見せぬ目的を超えて、自らからも見えないように自分に嘘をつく。自分についた嘘は時を重ねるにつれて自分ですら気づくことができなくなる。だからこそ人は弱みを見せることのできる人間に親しみと憧れの情を抱くのである。

 

 自分にない強さを持っている人間に人は尊敬の念を抱き、時には嫉妬する。この世界、さらには時をを超えて人類の歴史には常に自分より優れた人間が存在しており、常に尊敬や憧れの情でいられれば良いものの、それが自分にとって他者からの優越性を象徴する特性であればあるほど、嫉妬を抑えることが難しくなる。この傾向は、社会で競争にさらされてきた人間ほど強いのかもしれない。

 

 現実に生きる我々は皆、その内にある弱さと共に生きなければならない。これは人間が感情的動物としてある限り永遠に続く苦しみであり、逃れることはできない。弱みに対処する消極的方法はいくつかある。他者にそれを見せないよう慎重にふるまう。その弱みが、事実がどうであれ大したものでないと自らをごまかす。現実を逆にとらえ、それを強みであると偽る。弱みを見ないようにする。これらは決してくだらないなどと一蹴できるものでない。そうしなければ、精神に不調をきたし、日常生活に支障が出るかもしれないからだ。だが、弱みに正面から向き合わない方法は人間の心に引っ掛かりを残し、それが慢性的な精神の衰弱につながる可能性がある。また、弱みに対処する積極的方法もある。弱さを自ら積極的に他者に明かし、笑いの種としたり、他者から受けるひがみを中和したりする。自分はほかに強みがあるから弱みがあってもよいとみなす。弱さがあるのは自然の摂理だと考える。弱みに立ち向かい、行動を起こしてそれを強みに変える。これらの方法ができれば消極的な方法よりも精神的に健全であろうが、その難しさは人類の歴史が証明している。その弱みが自分にとっての存立基盤に関われば関わるほどに。

 

 人間の弱みに対処する方法は以上のように色々とある。苦しみの多いこの世界に生きる人々が、少しでも心を軽くして生きることを願わずにはいられない。