現代日本では、他者からの承認を求める言葉であふれかえっている。流行している歌曲は頑張っている自分、愛される自分、夢を追いかける自分を肯定する歌詞ばかりだ。この不確実で先を見通せず、人間の直接の関係が希薄になった社会において、努力しても望み通りの結果を得ることができない、本当の名前すら知らず画面上の文字だけでしか共感を得ることができない、経済成長の夢は露と消え右肩下がりの社会で豊かな将来を想像できない現実を表しているのかもしれない。現代特有かはわからないが、少なくとも現代の日本人の特徴の一つに、現実から夢へと逃避するとき、現実にある自分の身体を否定する傾向がある。ライトノベルでは、現実にある肉体を捨てて異世界なるものに自らの精神のみを転移させ、隔絶した超常の力を専ら都合よく拵えられた他者による承認に用いる。通常の小説では展開の都合のよさを様々な技法により覆い隠すのだが、この手の技術はライトノベルでは省かれ、消費財としての性格を鮮明にしている。ハーレムという現代社会では禁忌とされている性愛の形に対する羨望は男たちの愛されなかったり十分な承認を得られない現実の裏返しなのだろうか。男だけでない。寄る年波に抗っていつまでも美しくあろうとし、若くあり続けたい人間たち、大人になっても女性でなく女子と呼ばれたい人間たち。よい年のとり方をすることが軽んじられているように見られるのは、若者の理想となるよい年の取り方をした大人がなかなかいなこと、老後の生活に対する不安が各所で報じられていることも原因だろう。

 

 この現実をよいとも悪いともいうことができる。時代の必然的な流れであるとみなし、現状肯定の手法として承認を得られる手段が増えたことを喜ぶこともできる。だが、承認欲求の獲得手段の増加にもかかわらず、承認欲求の満たされぬことに苦しむ人間が多くいる。ならば、そのような人間が今よりも満たされた人生を生きるには如何にすればよいか。

 

 我々は過去と未来との連関の中で生きている。我々は過去の自分からの夢を受け取り、未来の自分を想像して夢を託す。今我々が生きている現実は過去からの付託によって成立しており、過去からの精神の連続によって自己同一性が保たれている。ならば、我々は過去の自分のあらゆる行動や思考に何はともあれはじめにに敬意を払い、未来の自分にも同様の敬意を払うことによって、過去と未来との連関を敬意という新しい形で結ぶことができるだろう。その敬意には、最低限別の時間の自分への存在肯定を含めなければならない。今の自分は、たとえ全く想像通りにいっていないとしても、過去の自分が敬意を払った存在であり、それは過去の自分が生きたかった自分である。無限の数の過去の自分の付託によって今の自分の存立を支える基盤とすることができる。そして、未来の自分に敬意を払い、その存在を肯定することが、未来のために今の自分が一生懸命生きる原動力となる。ともすれば、数十年に渡る長い時間軸で途方もない努力を積み重ねる原動力になりうるものだ。この先どんなことがあろうとも、自分がどんなに愚かしいことをしようとも、今の自分はそんな愚かな自分を愛している。行為や思考の善悪を超越した敬意が承認欲求の、すべてと言わずとも大きな部分を代替する。過去からの承認により、自らの承認欲求を部分的に満たすことができるだろう。