前回、多様化の時代が価値基準の曖昧化をもたらしたと書いた。SNS上で多々見られる閉鎖的共同体のみならず、LGBTや同性愛、反ハラスメントといった現代的な道徳の最前線にある論点も、否応なしに価値基準の曖昧化をもたらしている。数千年にわたって連綿と受け継がれ、変化してきた人間の言葉には男性、女性特有の性質を表す言葉が多くあるが、我々は男尊女卑ないしその逆の意図が直接ないし間接的に含まれている表現を使うことを禁じ、そうでなくても男らしさや女らしさを表す表現を使うことを躊躇することが多々あり、性中性的な表現を使うことを求められる。愛を男女の関係を前提として語ることは現代の倫理に反するものとされ、生物学的、性自認、性的志向などにより、すべてと言わずともいくつかの組み合わせがあることを前提としなければならない。ハラスメントの基準は被害者がどう感じたかにゆだねられ、我々は加害者とならぬために職場の同僚や部下、上司などとどのように接すればよいのか迷う。
この価値基準の曖昧な時代にあって、我々はいかにして価値基準を知ることができるか。価値基準の曖昧化の源泉は狭い範囲に閉じこもった人間の知識不足、過去の時代に先例のない概念、他者への無理解にあるのだろう。ならば我々は現実の各事象に閉鎖的な各コミュニティが認めた価値を、できる限り多く知る、できればすべて知ることが必要だ。過去の人間たちがその事象にいかなる価値判断をしたのかを知ることも必要である。そして、その事象に関連のある事象に対する価値判断を、私たちがもっともその価値を知りたい事象ほどでないにせよ十二分に知り、それらをすべて照らし合わせて、論理的に整合性のとれた価値基準を自ら創造し、それをもとに事象の価値を判断する。同じ事象に適用される整合的な価値基準は1つより多くある可能性がある。それらを取捨選択するには、人類滅亡への反対、美しい地球の保護、平和の希求、人を殺してはならないといった1つ以上の第一原理を導入してそれにかなった価値基準を選択し、さらに多くの事象にその価値基準を適用して第一原理にそぐわない解が得られるかを確かめればよい。第一原理にそぐわないというのは、例えば、(たいていの人間は同意するだろうが)地球環境の崩壊に反対するという第一原理を導入し、価値基準を科学への信頼、純粋な資本主義と選んだ場合、資本主義の厳密な適用により国家の市場への関与をなくすことを是とする価値判断をした結果、近い将来環境汚染が人類を滅ぼすことが信頼できる仮説として科学から提示されたのであれば、地球環境の崩壊に反対するという原理に反することになるだろう。この場合、価値基準の選び方は間違っていたことになる。修正された資本主義ないしそれに代わるものを価値基準として選ばなければならないだろう。また、第一原理はほぼ全ての人類が同意できるものでなければならない。例えば、愛国心を第一原理とした場合、内戦で国を追われた難民やナチス時代に虐殺されたドイツのユダヤ人など多くの人々が同意しないだろう。したがって、愛国心は価値基準のカテゴリーに含まれうる。
すべての価値基準を自ら創造するのは現実的でない。この場合、信頼できる他者の価値基準を自らの価値基準に組み込むことができる。信頼できる他者とは、関連のあるいくつかの事象に対する価値判断が、その価値基準からの導出過程を含め、もし自らが同じ事象に対する判断を行ったのであれば同じように判断するであろうと期待できるような人間のことである。したがって、その信頼性はあくまでこれらの事象に近い事象に対する価値基準への信頼に限られる。このとき、それらの事象についての他者の価値判断の基準を自らに導入することができる。ただし、導入する価値基準は最小限でなければならない。
また、この価値基準の作り方はハラスメントのようなむしろ他者の価値基準を知らなければならないときにも適用できる。他者とコミュニケーションをとって相手のことを詳しく知り、相手の言葉や話題の選び方から相手のおおまかな価値基準を探っていくことができる。これには鍛錬が必要であり、普段から各世代、いろんな人間の声をマスメディアやインターネット、本を通じて知り、できれば対話をしなければならない。そして、幅をもってしか知ることのできない相手の価値基準の下限をもって相手が自分の言葉や行動をハラスメントと受け取る境界線とする。この境界線は、相手と同じ時を共に過ごすに応じて上下へ動くだろう。
以上を実践するには相当の苦労が伴うであろう。多様化の時代に自らの存立基盤がわからず生きづらさを抱えている人々が、自らの道しるべを知る手掛かりになれば幸いである。