人権思想、個人主義の世界的普及により、社会は多様性を認める方向へ変化している。同性愛を公に認める国が現れ、キリスト教の内部でも同性愛を認める動きがみられる。ドイツのホロコーストや西洋の奴隷制、アメリカの人種隔離政策などへの反動として、公民権運動やアジア・アフリカ会議の平和十原則で人類の平等が掲げられた。ナチス時代の障害者差別への反省を含め、障害者も健常者と同じ人権を持つとする考え方が世界で広まりつつある。個人主義の普及は個人の自由と権利の保障を伴い、全体主義とと対立する概念として西洋にとどまらず世界中に影響を及ぼしている。また、21世紀に入ってからはインターネットを介した個人間の情報空間上のつながりが生まれ、自らの趣味や主張を身近な他者に今まで理解してもらえなかった人々がインターネット上で集まり、小宇宙を作っているかのようである。
多様化の時代は必然的帰結として価値基準の曖昧さをもたらした。皆が自らの小宇宙にとどまり、世界を俯瞰的に眺めようとする人間は絶滅危惧種となった。小宇宙内でのみ通じるジャーゴンを使い、仮想空間上での仲間意識を強めた人々は、自らの属するコミュニティの中でのみ通じる価値基準しか知らず、ほかの空間にいる人たちと現実の事象の価値を共有することができない。さらに、インターネット上でより多くの反応を得るために過激な主張をしたり感情的になってみせる人間が増え、静かに沈思黙考することができる人間は減ったように思える。現実の事象の価値を定めるには冷静な価値判断が必要なことが多々あり、そうでなく音楽や芸術といったむしろ直感的な価値判断がある部分を占めるような場合でも、前提としての共通認識を持っていなければ価値を共有したり、価値判断の根拠を相手に説明して相手の価値判断の誤りを説得することはできないであろう。誰もが自らの属するコミュニティに即した別々の価値判断をする世の中では、世界ないし国などの十分大きな共同体で成立する価値基準は存在しえない。地球温暖化のような地球規模で進行しつつある問題でさえ、長期的な科学的判断を信用せず夏なのに今日寒いことから温暖化していないといった類の直感的判断により重きを置く人間が多数存在する。
このような時代に、私たちは個人としてどのように価値基準を知ればよいか。社会の価値基準の曖昧化にどう向き合うべきか。それは、次回に書くことにする。