私は、15歳までは苛められていました。
その最大の理由は、…
自分は苛められて当然と思っていました。
心理社会的発達理論を唱えたエリクソンは、人間の成長過程においての
発達課題を挙げ、それをクリアしていくことが健全な成長を促すと言っています。
私は、発達課題を幼少期にクリアできなかった。
そして、健全な成長が出来ず、自分に価値を見出せなかったのです。
幼少期における発達課題として、自発性VS罪悪感というものがあります。
健全にクリアした人は自発性を見出し、自ら創造していくことに喜びを見出します。
一方、クリアできないと、自らが存在することに罪悪感を持つようになるのです。
私の場合は後者。
では、どうして私は発達課題をクリアできなかったのか?
幼少期、食が細かったのです。
そのせいで、身体は小さくガリガリに痩せていて、見るからに不健康でした。
それを心配する母親は無理やりご飯を食べさせようとしていました。
私のとっては、3回の食事は苦痛以外何物でもありません。
母親の監視のもと少し食べては、
「もっと食べなさい!」「それだけしか食べないから、そんなに小さいのよ!」
「隣りの○○ちゃんは、ご飯をお替りしているのに、どうしてあなたはそれだけしか食べれないの!」
そのうち涙が出てきます。
すると、「そうやっていつもベそべそべそべそして、それでも男なの!男とはねえ、…」
叱咤の嵐です。
母親も心配しての叱咤であることは、今だからわかります。
でも、幼少のころはそれがわかりません。
「私は母親の言うことが聞けない悪い子」
「こんな自分では、誰からも愛されない」
このように、自分の存在に疑問を持ち、価値を見出せなくなるのです。
冒頭に、苛められて当然と思っていたと書きましたが、それは無意識でのことです。
中学生くらいになると自意識も過剰ぎみになってきます。
意識的には、苛められて当然なんて思いもしません。
でも、苛められるのです。
どうしてか?
そのようになるようなシナリオがあるのです。
それを人生脚本といいます。
その人生脚本通りに人生が動いていきます。
では、その人生脚本を書いたのは誰?
それは、…
自分自身!
えっ、なにそれっ!
この続きは次回にて。