重松昭春先生著『無明の闇を照らす般若心経』を読了しました。
般若心経の解説書を私はこれまで何冊か読んでまいりましたが、先生のご指摘には強く共感いたしました。松原泰道師、山田無門師らが「諸行無常」感と「空」とを混同しているとのご指摘は頂門の一針と存じます。
そして、「空」について、縁起の世界を超えた、時間と空間の永遠の仏の境地を指すとのご指摘は、神仏を自身の俗諦に引き寄せて解釈しようとする通常仏教のご都合主義に対する痛棒と拝読いたしました。
「心呪」が般若心経の骨髄であるとのご指摘は、本来の仏教が「分別知」を超えるものであることを敷衍した結論であると思います。そしてその「空」の境涯を、伊勢神宮の「ホーリースペース」に結びつけられ、神仏習合や法華経寿量品の永遠の生命との関連で解明されたことは、宗教対話に新たな次元を開かれたものであると共感いたします。
「自他不分離」こそが究極の絆であり、繋がりであり、その次元において初めて「共創」の「場」が開かれると受けとめさせていただきました。
「無限定な状況で、相手の最高の剣で、相手に好きなように斬らせて勝つ『普遍の太刀』」は、現代日本と世界に希望の未来を共創しようとする我々の、実存的実践的構えとして全面的に首肯します。
これはニーチェのいわゆる「意志の要請としての永劫回帰」とは真逆の、永遠の救済と真理の開闢を志向する希望と勇気の太刀であると思います。その方向に煩悩即菩提と生死の解脱があると思いました。
ゲーテがフリーメーソンとは知りませんでしたが、よく考えると、確かに『ファウスト』のテーマは近代西洋のその後の歴史的展開(西洋の没落)を言い当てており、滅びることを承知しながらもその魔力に惹かれるゲーテ自身の悲劇性を指摘されていると受けとめさせていただきました。極めて東洋的なゲーテにして尚「普遍の太刀」になり得なかったのですね。
(2012年2月19日)