興行的にどうだったかわからないんですが、
「ALIVE」って映画を、
浪人時代に見て、
内容自体よりとある場面と(いつか書くかも)、
タイトルの日本語訳にやられたまま2020。
「生きてこそ」
この邦題にした人神か。
なんて思う日々を過ごしています。
いやあ、、、イーサン・ホークかっこよかったなぁ。
でもってジョッシュ・ハミルトンにやられたなぁ、19のワタシ。
(つたない英語でファンレター書いたら、イーサンからの直筆お返事もろたーwいえーいw)
って、それは、それこそ、おいといて・・・![]()
この、今のコロナ禍を前にしつつ、
長男坊・アレクを亡くした直後もあって。
これを強く意識しています。
私の中で、何もかもが「生きてこそ」って感じに思えて。
生きてるからこそ悩むし、苦しむし、
同時にだからこその喜びや楽しさがあって。
その喜びや楽しさって、
目の前に横たわる恐怖や悲しさやなんやかやより強くて。
でも強すぎるからこそ、これ、なぜか見失い勝ちになってしまって。
当たり前のようにある幸せって、ほんと、するっと手のひらから、
指の間から流れていきがちで。
だから、見失ったらあかんよなって思います。
政府の対応やら、知事の対応やら、
コンビニでレジに並んでる時に真後ろに並んだ人の、
ノーマスク・近距離にイラッと来たりとか、
日々、どんどん消耗されることだらけとか。
消耗されて、疲弊してしまうと、
視野がどんどん、どんどん狭くなってきちゃったりとか。
反動で、よくわからないスピリチュアルなものとか。
普段なら目を向けることもないものを見ようとしたりとか。
それはそれで意味があるのだと思うのだけど、
そういったことへの鬱々とした感情が色々邪魔してきて。
まあ、言ってみれば色々ブレブレになりがちな日々で。
今日は大丈夫でも、1ヶ月後には仕事がないかもしれないとか。
自粛解除されても、きっと前の状態にはなれないとか。
ちょっと前に見えるのは不安・不安・不安・不安ばかり。
病むなってのが無理なくらいの不安。
でもそれって、「生きてこそ」わかること・感じる事で。
不満を口にできるのも、生きてるからできる。
悲しさを感じるのも、生きてるからできる。
生きてなきゃ、(死んだ後とかわからんけど)
わからない。たぶん
これを、噛みしめるべき時なんじゃかなろうか、なんて思ったりしてます。
なら、
「今を生きる」
でいかなきゃねー
って。
(これもまた、イーサンやたなというきれいなオチを持ち出すワタクシw)
ってことでの?(前フリなげーよ)
zoom勉強会。
楽しすぎたわ。
色々合っても、不自由あっても、
『日常』に向き合うタフラバさんと、
「強い飼い主であれ!」とブレずに言うて、
それを示してくれるアヅミさんがいるという幸せ。
たまらんわー、ほんま。
生きようぞ。
今を、全力で。
なんて思います![]()
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