こんにちは、おれんじです
いま実家にいるんですけどね…
母のコミュニケーションを見て「ほんっとにこれ嫌い」としみじみ思ってます。
こんなのに20年以上付き合ってたわたし、ほんとうに偉い。
よく頑張った。
よくぞこの環境で育った。
そしてこれがヘンなものだと気づいて決別した。ほんと偉い。
一体何が嫌いなのか、どんなコミュニケーションが私にとってNGなのか
整理するためにブログに書いておこうと思います。
もしかしたら前に書いたのともかぶってるかも。
その辺は改めてという事で…。
1:命令と禁止が多い
母から孫(私の息子)に向けてかける言葉がほぼ命令と禁止。
・たくさん食べなさい(食べるくらい好きに食べさせろや)
・転ばないでね(無茶言うな。転ぶ時は転ぶわい)
2:コミュニケーションが一方通行
2-1:相手が受け取ってるかを気にせず思ったまま言葉にする
例えばこんな↓ことを15秒くらいで3歳児にダララララと言ってました。
「椅子から降りなさい、スプーンはどこだったかしら、まって行かないで、
おじいちゃん呼んできて、あーまずお水飲んで!」
なに!?結局何してほしいの!?
息子は言われすぎて混乱。そりゃそーだ。
2-2:相手が何か言っても受け取らない
夫のお昼ご飯を用意してくれてた時の会話
母「夫くん、エビは苦手なんだっけ。エビソースのパスタ食べられる?」
夫「はい、食べられます」
母「あっちに違うソースがあったわ、探してくる」
(食べられるって言ってるのに)
母「こっちにするわ。あっ、でもこれちょっと辛いかしら。食べてみて」
夫「大丈夫です、食べられます」
母「まって、あっちに違うのもあったはず。どこだったかしら、ないわ」
(食べられるっていってるのに)
夫「あの・・・せっかくですけど時間無くなってきたのでもう大丈夫です。パン食べます」
母「せっかく用意してるのに!」
いや、何度も食べられるって言ってんだからそこでもう探すの止めろや!
2-3:そのくせ人のことをすごく聞いてくる(しかし2-2のとおり受け取らない)
お腹すいた?→すいてない→ご飯の準備しなくちゃ
今日寒い?→寒くない→もっと上着来なさい(命令形)
ご飯足りた?→お腹いっぱい→もっとあるから食べなさい(命令形)
3:不吉な予言
まだ何も起きてない時から失敗する前提で声をかける
転ぶよ!落とすよ!こぼすよ!
ネガティブなイメージ付けすんな、めんどくさい。
4:ネガティブなことを刻み続ける
何年の前の嫌な思い出を繰り返し語る。
「その話もう5億回くらい聞いた」って冒頭10秒で言えるほど聞かされた。
マゾなの?楽しいの、それ?
5:人の行動を監視して嫌なように受け取る
お向かいの〇〇さん、庭の掃除してるわ。
あのきったない庭、20年ぶりくらいに片付いたんじゃないの?
斜め向かいの〇〇さん、幼稚園の子に”今日は英語にいくわよ~”とか叫んでるの。
たまに英語教室通ったくらいでできるようになるわけないじゃんね。
→マジでただただうるさい。ほっといてやれよ。その思考の方がウザいわ。
6:自分の不手際や改善点を見ずに人のせいにする
これは後述します。
…挙げてたらほんとウンザリしてきた。
ウザいコミュニケーション。
あー、頭の中を「うっせぇわ」がリピートする。
あの歌聞いた時に私のことかと思うくらい染みた。
でも子供の頃ってまさか親のコミュ力がヤバいなんて思わないから
母のやりとりに応えられるように頑張ったんですよねー…。
まじでよく頑張ったな、子どもの頃のわたし。
どう答えたら母が満足するか、納得するか、いつも気にしてた気がします。
もう無意識でやれるレベルまで達した。
そりゃー自分の気持なんか分からなくなるわい。
環境を吸収する子どもに向かってよくもこんなクソなことしてくれたよ、母。
特に「6」に挙げた人のせいにするっていうのは私にも受け継がれていて。
ほんっっっっとに厄介です。要らんもんくれたな、このやろう…。
失敗が怖いとか、人に寛容になれないとか、そういうのも全部母からの影を感じます。
ゴミ袋にまとめて可燃ごみで捨ててしまいたい。
全部焼いてしまいたい。
はー、という。今日はそんな毒吐きでした。
後ろ向いて悔やんでもしょうがないことは分かってるから
これらを認めて、頑張った自分を褒めつつ、好きな自分になるように歩き出したいですけどね。
まずは何が自分にとってゴミなのかを確認するための言葉だしでした~。