いま、毎日英語の勉強をしてるんですけど、
英文が前よりも書けるようになってきて、
うっすらと文法が身に付いてきてるかんじがあります。
そうすると、楽しい~。
だから短い時間であっても、その時間は身が入る。
わたしは英語を話します。
そんなふうに聞くと、ペラペラを想像するかな?
わたしの話せるは、
超カタコトで、思いついた単語をなんとか並べて、
ボディランゲージとハートからの想いを込めたもの。
どうしても伝えたいことをどうにか伝える会話。
けど、そんなかんじでも、あなたは英語が話せるよ、
と外国人の友人たちは言うんですね。
日本では、わたしみたいな状態なら、ほとんどのひとが自分は話せない、って言うでしょう。
捉え方が大きくちがうね。
とにかく今よりもっと多くのことを深く英語でシェアする、
みんなとの会話を通訳なしで、その瞬間に理解して一緒に笑ったり感じる
通訳者を通してじゃなく、自分の言葉で伝える
日本以外のさまざまなところでグループを開催して自分のワークをシェアする
5月ぐらいには、今よりかなりスムースに英語が口からでているでしょう。
って、大口たたいておきます、よろしく笑
英語を話すことへのモチベーションはいろいろあるんだけど、
ひとつとっても大きなことがある。
日本語をつかってるときと、英語をつかってるときのわたし自身のちがい。
全然ちがうの。パーソナリティが変わる。
みなさんも、そういうの体験したことない?
自分とか友人が話してるのを見て。
わたしの感覚は、英語をつかってるときって、
自分が開いてるかんじがするの。
小さい子供みたいに、活き活きしてて、
頭の中もシンプル。
だから気持ちいいんだよね。
普段の日本語の生活では、小さい頃からの条件付けが根付いてるんだろうか。
英語をつかったときの感覚とのちがいを判ったときに、はじめて気が付いた。
日本語をつかってるときのわたしは、英語のときよりも、固い。窮屈。
元あった型にすぽって入るみたいなかんじ。
生まれた時から使ってる言葉は、その言葉で躾けや教育や思い込みがつくられてきた。
そう考えたら、わたしが感じてることは自然なことかも。
そして、わたしはまだ自分の日本語が話せていないってことかもしれない!
ひゃー、なんかうれしい発見。
どの言語でも、自分の言葉を話せたら、めっちゃ気持ちいいよね。