わたしは器用なほうだと思う。
不器用なひとを見ると、最初にでてくるのは、
ええなー、このひと。
羨ましくなる。
不器用さって、美しいのよね。
わたしのすごく身近なところにも、不器用なひとがいて、笑
んもーーー!ってなることも多くあり、
わたしのやり方を押し付けようとして、
あ、このひとの才能をじゃましたらあかん!
って思いなおすこと、しょっちゅう。
不器用って才能。
器用さから入る入り口とは違う場所からものすごいこと創りだす。
これやってみたいけど、
わたし上手くできないしな・・
器用なわたしによくでてきた考え。
そんなことがでてきたら、
身近にいる不器用な先生たちをよーく見て。
一気に目が覚める。身体にあった緊張がとれる。
上手く、にこだわらなくてよかったんだったー。
そして、
その中に入ることができたら、
ここから、
器用という自分の才能をつかう。
さて、ほんとに器用、不器用ってあるんかな、
その視点はまだ必要かしらね。
親から社会から一生懸命躾けられて、
それをやろうとして、それができたひと、それができなかったひと。
器用、不器用はそうゆうところからも振り分けられてるみたい。
特定の観方。
自分探しと言って、なんらかのレッテルを貼ることを好む。
仕分けするのが好き。
安心するからね、わたしはここにいますっていうここが仕分け先。
そのレッテルを実際に体験したら、レッテルがはがれるような
そんなかんじがする。いらなくなる。
だれかの体験を自分ごとのように勘違いしちゃったら、
それは自分にとって残念。
そんなことをあれこれおもったとしてもね、
わたしは器用さ不器用さを愛しますよ。
自分の才能のひとつひとつを知ってつかって、
だれかの才能をひとつひとつ見つけて伝えて、
それが回りだし交わりだしたら、
どんなんかな、楽しそうやな。
2/18.19 自分とつながる、だれかと出会う
3/11 自分の創造性を解き放つ
マルガのセッション
スタジオウーヌスまで
052-833-1623/MAIL