先週末、所属している古武道の会で春合宿を行い、

参加させていただいた

春は奉納演武といって、神社の境内にて、演武をさせていただく


合宿の日が古武道の稽古を始めて、

ちょうど丸2年に当たる日となったが、

昨年は直前に震災があり中止されたため、今回が初参加だった





行き先は、武道の神様、鹿島神宮


過去2回行ったことがあったが、神々しい空気に満ちた素晴らしい神社

近年はパワースポットとしても人気のようだ


それだけにその境内で演武させていただくのを

とても楽しみにしていたのだが、

目的は外にもうひとつあった



この神社の境内には、

「要石(かなめいし)」が祀られている場所がある


要石は、大地震を鎮めているといわれる




その大部分は地中に埋まっていて、地上に出ている部分はほんの少し


なので、観光気分で観に行った人は、なんだ、と拍子抜けするだろう



しかし、その云われをきちんと知ってほしい

何事も目に見える部分だけで判断するのは、もったいないこと



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要石については、ある人が次のように言っていた


自分自身の中の心の地震、怒り・悲しみ・不安・嫉妬などの

心の不安定な「動揺」を鎮めること、

つまり「不動心」を育むことが今の私たちには必要



そして、要石は私たちに、

自分自身の心の中にも要石を置くことを教えてくれているのだと





数年前から、世の「心の荒廃」を身を持って感じるようになった

もちろん自分も含めて



その先は行き着くところを知らない、、、なと



ふとした瞬間に、「神様は怒って(あきれて)いるよなぁ」と

よく感じていた


そして昨年の震災で、「ああ、やっぱり・・」と思った





平和ぼけしている現代を生きる人々

思考が停止している

競争ばかりでゆとりがない



見方を変えれば大災害は、

リセットして、見直せ、という温かい措置とも

いえるかもしれない


しかし、それでも、悲劇は最小限に抑えたいと願う



今回は、地中でつながっているといわれるもう一つの要石がある

香取神宮にも参拝させていただいた



一人一人の心がけが重要であることは間違いない

まずは自分から



すぐに忘れてしまうけれど、

要石の前で真摯に手を合わせた、

あの瞬間の気持ちを毎日思いだせますように







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稽古させていただいた鹿島神宮内武徳殿


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鹿島神宮境内一番奥にある御手洗池
一番好きな場所だがあまり時間がなくザンネンだった
今回、鹿島神宮にいる間、なぜかずっと体調が悪かった
参道はそれなりの空気だったのだが・・・
大鳥居、早く修復できないだろうか





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帰りに寄った、香取神宮
こちらは初めてだったのだが、とても清々しい気を感じ、
一気に体調が戻った




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神々しい朱門と石灯籠
週末、都民芸術フェスティバル・現代舞踊公演を鑑賞してきた


内田香さん主宰のRoussewaltz「真実」は、
昨年の同じ時期に1度拝見したものを
再度鑑賞させていただくことになった


昨年観たときは、「よくわからない」という印象が強かったように思う
そして、多数の表現者が出てくる場面では、
なんていうか・・女性特有のちょっとダーク?な空気を感じた憶えがある
個々の、前に出よう、という自己主張が強く、
そのことで舞台がバラバラになっているような
もやもや、、、としたものを感じてしまった

それだけ、女性のもつ複雑な感情を、うまく表現されていたのだと
思うけれど、
多分、観た側の当時の私の心境も大きく影響していたのではないかな



打って変わり、今回はそういうものは全く感じなかった

今回は3団体の共演だったので、
演技の時間自体が短くシンプルな構成になっていたし、
私の視点が少し変わって、
体の使い方・動かし方に注目していたせいもあり

深く体の内側に訴えかけてくるものがあった
それは、昨年と違い、まっすぐだった

そして、女性の体の線というものは、なんと美しいのだ、と
あらためて思い知った



ひとくちに女性と言っても、体にはもちろん個人差があるけれど、

大きく括れば、男性の体、とは明らかに違う


あたりまえのことだが、そのことを、あらためて実感した

それと共に、女性として生まれたことの自覚を促された気がする



日々、仕事をしていく中で、
男性的なモノの考え方をしなければならない場面がある

仕事の上、と割り切っていても、どこか切り離せない部分が
澱のように蓄積されていく気のするときがあった





Roussewaltzの舞踊は、これ以上ないまでにしなやかだった


しかし、そのしなやかさをかもし出す前提として、力強さがあった


「強くないと優しくなれない」と日々感じていることと、つながった



女性のもつ強さは、しなやかさを生むために必ず必要なものなんだ


そして、
その強さをもっているということは、=しなやかになれる、ということ


しなやかに生きるための、もって生まれた強さ、
それが、”女性性”というものかもしれない


などと思った




特に主宰の内田香さんのソロダンスには、本当に魅了された

圧倒的な強さ、しなやかさ、

そこには、「表現」というもの以外に何もなかった

柔らかく、潔くて、美しかった



ただ表面を飾るだけの美しさではなく、
もともともっているものを最大限、外に解放し、見せてくれた


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平均寿命がどんどん伸び、
加齢してから過ごす時間が長くなった現代

平均寿命が今の半分だった頃は、
自身の老化と向き合い闘う必要もなく命をまっとうすることができた


しかし、現代は違う

そのため、表面上だけのアンチエイジングなどが流行り、もがく人々


どうやってこの長寿大国のしかも高齢化社会を生き抜いていくのか、
は暗中模索

しかし所詮、表面上のことは表面上のことにしか過ぎないのでは
ないかという本質は、
皆、潜在的にわかっているのではないだろうか



「美」というテーマを与えられた女性

その女性として生まれることを選んだ私たちは

現代の新しい課題に向き合うことを余儀なくされている


その答えのひとかけらを、内田さんが見せてくれた気がした



女性としてもともと持っているもの

それを、ずっと、忘れずにいること


簡単なようで難しいかもしれないが、ひとつ教えていただいた気がする


潔いpassionと共に





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先日訪れた、横須賀の走水神社
弟橘媛が夫である日本武尊を守るため海に身を投じた、
というご由緒がある
女性性を思いださせてくれる場所
近年はパワースポットとしても有名なだけあって、
とても清々しい「気」が流れていた


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小高いところにある走水神社から見下ろす景色


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最近、観るだけで「おぉ~っ」と思ってしまう役者さんがいる



それは、中井貴一さん



表現が難しいけど、

「いい役者さん」になられたのだなぁ、と心から感じる

「旬」まっさかりだと、個人的に思う



少し前までの印象は、「面白味にかける俳優」だったのに
(すみません汗





表面的ではなく、内側からにじみ出ているものがあるんですよ


大河「平清盛」でも


そして、週末観てきた「麒麟の翼」でも




「麒麟の翼」は一昨年やっていた「新参者」という阿部寛主演のドラマの

映画バージョンカチンコ

このドラマは気になってはいたが、
当時はテレビ自体をほとんど観ていなかったので、当然これも観なかった



しかし、しばらく前に何かの媒体でこの映画を知り、強烈に観たくなった




舞台は好きな街、日本橋

そして出演者も比較的好きな人が並んでいた
(溝端くんと桃李くんは個人的に若手の2トップひらめき電球


それだけではなく、なんとなく魅かれるものがあった





結論から言うと、やはり中井貴一さんがよかった


ストーリーも他の役者さんもそれなりによく

(原作が東野圭吾氏だし本





それから、観終わったあと、
なんか浄化された気分を感じたことが不思議だったキラキラ


行ったことのあるところを含めて、
神社の映像がたくさん出ていたからかなぁ・・?!



中井貴一さん、「平清盛」では父親役なので、
そのうち死んでしまうだろう
ちょっと寂しい

しばらくはその演技から目が離せない宝石白


心の中で

「ナカイキイチ、スゲービックリマーク
って叫びまくりにひひ

「カッコイイ、キャー」てのとはちょっと違う

とにかく「スゲー」なぁって思う

今までの積み重ねが、花開いているような感じを受ける

ステキな「役者さん」



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余談ですが、「新参者」というドラマは、
古武道を習い始める糸口になってくれたというご縁があります

一昨年の4月、このドラマの番宣をネットで見て、
主演の阿部寛さんから「古武道」という言葉を連想し、
検索して、柔剣雷心会の体験稽古に行ったのでした

その他にも理由はいくつかあって、偶然が重なったのですが、
糸口になってくれたことに間違いはありません


そういう意味でも、この映画を観て、
当時を思い出せてよかったです合格




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本文と関係なく、フロランタン
大好きです
谷中に専門店があるそうなので、行ってみたいニコニコ
明日はもう仕事はじめ。

年末、やむを得ず先延ばしにしてしまった仕事が

しょっぱなから詰まっている。



年末の最終週にかぜをひいてしまった。

ギリギリでこらえてきたのだが、ついに、という感じで。

仕事のスケジュールがかなりつまっていたので、

あまり休めず、ごまかし、ごまかし、やったのだけど、

熱は出たし、のどははれるし、鼻水がどこからともなく

たくさんわいてきて・・・

1年ぶりのかぜはなかなかにしんどかった。



いまだ少し引きずっている。




しかし、そんな中でも、おだやかでよい年末年始を過ごせたと思う。



大好きな友人の実家で、あふれる笑顔と温かい会話を肴に
栄養たっぷりの鍋をごちそうになり、

歳末でにぎわうアメ横などへ買い物に行き、

ご先祖さまのお墓参りをし、

父母のたわごとを(やれやれと)聞き流し、

母にマッサージをして、

着物を着せてもらい、

お世話になった方(心の父)のお見舞いがようやくでき、


例年通り、氏神様と浅草神社へ初もうでに行き、

作務衣と藍染めのバックを買い、

ひさびさにお財布を新しくして、

部屋の飾り手ぬぐいを新しい干支に掛け替え、

携帯のデコを新しい龍に貼り替え、

部屋の神札も貼り替えた。




おととしまで数年間、ずっとひとりで行っていた初もうで。

その間、自分なりのルートを構築したりして、

それはそれで充実した時間だった。


けれど今は、ひとりでないありがたさ、楽しさを経験している。


ひとりで行くことがなかったら、

そんなことも分からなかったかもしれない。


いろいろな経験をして、はじめて本当に身になっていく。

すべての経験は、宝。


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昨年、震災の直前に、突然、100万人に1人という難病にかかった

私の心の父。

その闘病の様子を、本人と奥さんから、たくさん聴いてきた。

気持ちを折らすことなく、静かに、闘っていた。


結果、医師の予想を覆す方向に向かっている。



心配は尽きないけれど、少しほっとした。


聴いたお話の中には、たくさんの学びがあった。


話の中に、「後からわかる」ことがたくさんあったし、

これからももっと増えていくんだろうと思った。



心の父・母とは、毎年正月にお会いして、

ずっと私の話を聴いてもらってきたが、

今年は、一方的に聴く番になった。


私も聴いてもらいたいことがあったけれど、

今年は話を聴く番になれて、よかった。

とりあえず、そこまでは成長できたのだ、と思った。



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振り返って、

昨年、2011年は、多分、はじめて、

自分で「がんばったね」と思える年だった。

そして、これもはじめて、自分を「ほめた」。




年明けから震災までの2ヶ月半は、ある煩悩に苦しめられ、

心が重く、黒く、くもっていた。


震災後は、意識が開きすぎて、コントロールが難しくなった。


そして、夏以降は、独立後経験したことのない仕事の忙しさで

てんてこまい、だった。


今まで避けてきた仕事にもチャレンジしたし、

講義にも数多くチャレンジした。


通常の業務と並行して資料を作るのがまず大変、

そして当日までの具体的準備、心の準備。

12月あたまに、一番大きな規模の講義をどうにかクリアした時、

はじめて自分をほめたくなって、ほめた。


直前は、引き受けたことを本当に後悔したし、

逃げ出したいな、と毎日思っていた。


これまで目立つ行為はあまりしない傾向にあったのだが、

”流れ”が来たので乗らねばならない、と思い、がんばった。




その後は、趣味の古武道の稽古の日程が年末まで詰まっていた。

個人だけでなく、チームでやる演目がメインだったので、

とにかく体調を崩すわけにはいかず、ずっと気を張っていた。


だから多分、それが終わったとたんかぜをひいた。



かぜをひくと、すべてが台無しになる。

気力が落ちるのが一番こたえる。

初めて、仕事の面談をひとつ延期してしまった。

しかたない。


それでも、よくやったんだから、と自分をほめたい。



ほめつつも、実は自分の力など本当にに微々たるもので、

すべては周りの方々と後方からの見守りのおかげだと

わかっているのだが。

それでも。



その他にも、PBでは、初ランニング大会参加、

ランニング会の部長代行としての幹事的役割、

ふらふらで参加した夏合宿、2回の演武会、

初登山、それから友人の相談にもいくつか乗ったな、、


仕事がらみでは、通常業務以外の支部会業務、調停管理者の仕事、

数回のセミナー主催、相談会当番、、



「?」があたまにたくさん浮かびながらも、よくやった。



5年間お世話になり、濃い関係だった日舞の師匠との

不思議な別離もあったし。



それらをこなす中、いつもぎりぎりで持ちこたえてくれた、

自分の「体」に、本当に、本当に、感謝した1年だったなあ。


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年が明けたので、また気持ちを切り替えて、

去年のことは、去年のこととして、

また自分らしく頑張っていこう。



今年は、もう少し殻を破って、大きな思想を持てるように。

そして、健康を維持すること。

笑顔と感謝を忘れないこと。

ひとりよがりにならず、人とつながることを大事にすること。




まずは、事務所と部屋の大・そうじ&大・整理整頓をしたいのだけど、

1週間ぐらい休みを取って集中的にやるのは夢のまた夢なので、

少しずつ頑張らなくてはシラー




乱文になったが、備忘録のように今の気持ちを書いておいた。



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おだやかな陽射しの中、浅草神社で絵馬に決意を書いてきた鏡餅
「地獄への道は、善意の石で敷き詰められている」



昨日、成年後見業務についての必須研修があり、
終了間際、
講師が放った言葉


成年後見制度は、認知症の高齢者や精神障害者のための
財産管理や身上監護について、保護者をつけることを定めた制度

法律職として、司法書士の何割かはこの業務に関わっている

とても責任が重く、事務も煩雑、判断が難しく、報酬も明確な基準がない


他の業務と明らかに性質の違う業務で、

そのため、

「ビジネス」なのか「ミッション」なのか、という論議もなされる、

そんな仕事だ



なので、業界でも統轄の公益社団法人を設立し、
そこに登録することが、この業務を取り扱える要件となっている

また、必須研修で必要単位を取得しないと、登録抹消されてしまう
システムにもなっている


他の業務についても、法改正や制度変更などに対応するため、
常日ごろの勉強や研修を受けることは
もちろん義務に近いものがあると思うが、

特にこの成年後見業務に当たっては、明確に研修受講義務がある


それだけ、デリケートな業務でもあり、
ちょっとしたことからトラブルになる可能性も秘めている


その業務を、数こなしてきている経験豊富な講師が、
放った言葉

心に刻まれた手裏剣


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研修の内容自体も、めずらしく(すみませんガーン)、
ものすごくタメになる内容だったせいもあるが、

この言葉は、仕事以外のこと、プライベートにも
あてはまるな、しかり、
と思ったから




いろいろな解釈があると思うが、
私個人の解釈としては、

見せかけだったり、
過剰だったり、

のいろいろなおまけがついた善意は、
結局自分の首を絞めることになる、

ということ




振り返って、思い当たることが
いくつかある





困って頼ってくる人の
「力になりたい」
と思ったときは、

必ず、そこに、

自分の我欲がどの程度まじっているか・・・

を冷静に見極める必要がある


それは、
その後の関係における優位性であったり、
人を助けた、という自己顕示欲だったり、
いいことをした、という満足感だったり、
その人によく思われたい、という欲望だったり、

etc,様々だ


これらを100%廃除することは不可能、
人間なので、当然少なからず欲はある

そしてその欲が、善行のきっかけになることは、
決して悪いことではないと思う

ただ、その我欲が、
全体の何%くらい混じっているか、が問題だと思う

我欲をはるかに超える割合で、
本当に純粋に、心から、
「力になりたい」
「少しでも状況がよくなったらいい」
「精神的にラクになってもらいたい」

というか気持ちがあるのかどうか


冷静に検討すること


プラス、相手の状況をできるだけよく見ること

単に甘えてきているだけなのか、
本当にせっぱつまっているのか、
本当に何らかの助けを求めているのか、
ただ聴いてもらいたかっただけではないのか、

etc,



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「善意でやっているんだから間違いない」

という無茶な肯定感を持ちすぎないように
注意すればいいのかもしれない



だからといって、
善意はもちろん、悪いものであるわけがなく、

むしろ、忘れてはいけない、
自分の中の宝宝石白


要は、バランス、の問題ということになるのだろう


何回か自分のとっての地獄(か、それに近い状態)を経験して、
体得していくしかないのだろう



この言葉を附箋に書いて、デスクに貼っておいた

忘れないようにカギ






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ひと月遅れの夏休みとして、

profileにも書いていた、ずっと行ってみたかった場所、

高野山に、

ついに行くことができた



高野山は、弘法大師こと、空海さんが開いた密教の修行地


知ったのは、中学生のとき

「空海・真言宗・高野山」

「最澄・天台宗・比叡山」と覚えたけれど、


そのころには、暗記したのみでまったく興味ナシ




しかし、数年前から、なぜか(理由は不明)

熊野、高野山に強く惹かれていった


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高野山といっても、その名のとおりの山はなく、

周囲を8つの山に囲まれた、

東西5.5キロ、南北2.3キロの山上盆地


といっても標高は約800m


電車をのりつぎ、最後は急傾斜をケーブルカーで一気に上がる


下りると、そこは、まさに下界を離れた、天界といった空気


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聖地といっても、今は「高野町」として町制がしかれており、


ふつうに商店や役場、郵便局、幼稚園、大学まであり

一見ふつうといえば、ふつうの風景


けれど、やはり空気が違う




私が今回一番行ってよかったのは、壇上伽藍の根本大塔


そこで、大日如来様とご対面した



計3回、対面しに行ったけど、

3回とも、たまたまあまり周りに人がおらず、

じっくり対面できた


温かい、気とメッセージをいただいた


自分の本音も聴くことができたし、温かいものが目から流れ出た

悲しみの涙でもなく、感涙でもない、

温かいもの



人はみな平等、と教えてくださった


いつまでも、その場所を離れたくない思いにとらわれた



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高野山には50を超える宿坊がある

宿坊とは、宿泊できるお寺のこと


宿坊に泊まらせていただくのも目的のひとつ


写経、阿字観(瞑想)、朝の勤行、、、と体験できた



お寺とはいっても、へたな旅館より設備は整っている

精進料理もとてもおいしかった


そして、お世話して下さるのはお坊さんたちで、

気配りがいきわたっている


ものすごく居心地がよかった


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お坊さんの法話の中で、密教の教えとして

「即身成仏」というのがあった


人は死んでから仏になるのではなく、

生きているときから、みな仏であるということ


ただし、

あらゆる煩悩に惑わされて、本来の心を見失っている

それが、人


なんとなく、わかるし、しっくりくる




2泊目に泊まらせていただいた普賢院さんには

松尾芭蕉ゆかりということで、

芭蕉さんをお祀りする「芭蕉堂」という建物があった


そこには、誰でも1句書けるよう、俳句帳と筆ペンが

置いてある



せっかくなので、即興で1句


「煩悩と うまくつき合い 生きるのみ」


と書いてきた



煩悩を消し去ることは不可能、

ただ、うまくつき合って生きること、

それが即身成仏の生き方、

というようなことを

お坊さんがおっしゃっていた


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私が仕事で使っている屋号「みろく」

高野山の奥の院には「みろく石」がある


釈迦入滅後、

56億7千万年後に衆生を救いにやってきてくださるみろく様

その降臨の地ともよばれている場所


ご縁をつなぐため、石に触ってきた

ご縁がつながりましたように


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帰り、京都にもちょこっと寄ったのだが、

四条河原あたりをぶらぶらしていたら、

空海さんゆかりの東寺は閉館になってしまった


門前で、また今度、とごあいさつ(__)


そして、広隆寺の弥勒菩薩様も、また今度、、、

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祇園で食べた「ねぎあんかけうどん」は
かなりおいしかった


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ここしばらく、一番暑い時期に、一番仕事が忙しく、

寝てもさめても仕事、、という感じでかなりきつかったけど

気合いでなんとかがんばった


この旅行はとてもよいごほうびになった

アタマがかなりすっきりした


まさに「非日常」の空間


アタマ・心・体がちょっと疲れた方には、

ぜひ行ってほしい、おすすめの場所だった






出かける前、買った高野山の本に書いてあったことば



「菩薩たちは、その欲のベクトルを、

 人々の救済や、後進への教育という方向に向けているのです」




菩薩は如来になるべく、修行中の身

そうでしたか・・

そういうお考えがあったのか・・

とはっとする思いだった



下界で生きるのはしんどいけれど、

私の生きるフィールドはこちらなので

またがんばろうと思う




次回、行けるときまで





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高野山のゆるキャラ「こうやくん」はお気に入りで、
グッズをいろいろ買ってしまった

某「○んとくん」みたいなのでなくてよかったにひひ



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手に塗るお香「塗香(ずこう)」
勤行の前や、写経の前に手にすりこみます

普段から、心・気を清めるために使っていいそう

仕事の前とかにも

これから私に近づいていただくと、

このお香のにおいが鼻につくかもしれませんが、あしからず

好きな方にはとても癒される香りですお月見
ここしばらく、twitterでのつぶやきが主になり、blogを書かなかった

仕事がとても忙しかったせいもあるが、

どこかで、何らかしらの、

”ことばを吐き出す”

と、それでお腹いっぱいになるせいだろうと思う



私にとって散文を書くことは、そのように”吐き出す”こと、

それから、”備忘録”の側面をもっている


今日は、備忘録としておきたいことがあり、少し長くなるので

こちらに書いておこうと思う


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しばらく前、古武道の先輩の「ちょ」さんから、

石井ゆかりさんの「青い鳥の本」という本のことを教えてもらった


ようやく図書館で私の順番がまわってきたので、昨日早速開いてみた


この本は、「ビブリオマンシー」になっている

「ビブリオマンシー」とは、

「本をぱっと開いてそこにある文章を読む占い」



ふと、何気なく開いたそのページに、そのとき自分にとって

必要なメッセージがつづられている、というようなもの


古くは、聖書などもこの方式で読まれていたとか




1ページ、ぱっと開いて読んでみた   ふむふむ・・

そして、欲張りな私は、他のページも次々に読んだ

(2週間で返さなくちゃいけないから)



その中で、ひときわ、私に訴えてきたページがあった


『「自立する」ということは・・・』と始まっていた


ここ数年、もう10年近くなるかもしれない、ひたすら、

真の自立、そして、自律、とは、何かを考え、探り続け、

求めてきた



幾分か、理解したつもりのところもあったと自負していた




しかし、そのあとにつづくことばに、ハッとした



本当のパートナーシップを作る力を得ること、

きちんと甘える力を得ること、

正面から人の力を借りられるということ、、、、



そして、それに気づかない場合、

「自立」ではなく「孤立」だと



また、忘れかけていた





ありがたいことに、今までいろいろな場面で、

教えていただくことがあり、逡巡しながらも、気づいてはいた


でも、また、忘れかけていた



もともと、人を頼ることが苦手


だからこそ、今、自営の道を歩んでいるのだと思うが、


しかし、

ひとりでできることなどたかが知れている、ということは

重々わかっている・・・つもり・・・



よほど努力しないと、なかなか意識は変えられないものだ・・・



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振り返ると、母親がそういう人だった


1人でなんでも抱え込んでいて、

ある時から、眉間のしわが日常になり、いつも険しい顔をしていた

本当に笑った顔というものを、思いだせないほどに


確かにいろいろと大変だっただろう、と思う

けれど、大人になった今、

もう少し周りの力を借りる方法があったんじゃなかろうかと感じたりする


周りの力

側にいた私のことも



子どもでも、わからないことなんて、実は意外に少ない

子どもだからといって、頼りにならないということはない


違う形・・ストレスを外に出す形で、

そうやって母は私を頼ったのかもしれないが、

もうちょっと違う形で頼っていてくれたら、どうなっていただろう、

と思うときがある



結局は、今ある形でやってきたのだから、

これはこれででよかったのだ、と思わざるを得ないけれど



ようするに、母親は、自分の姿を通して、

私がいずれ陥るであろう欠点をあからさまに

見せてくれたのだと思う


きっと


そんな気がする


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簡単なことではないけれど、

「自立」は、他人の力を借りないということではなく、

他人の力を借りた上で、それに報いようと努力することだ、

と石井ゆかりさんは言っている



私にとっては、とてもとても次元の高い話だが、

知った以上は、それに近づくよう努力しようと思う



頑張ればきっとできる、と思う



独立して3年、

本当に仕事のやり方を真剣に考え直す時期が来ているんだと思う



いつも、さまざまな角度から、ヒントを

そっと、ほんとうに、そっと、

ことり、と置くように

ささやいてくれる「ちょ」さん、

special thanks!! です (ぺこり(__))









$~self education&produce~

硯と筆をいただいたので、いずれ書を始めたいお月見

敬愛する山田ズーニーさんのほぼ日コラムでは
ここ7週にわたり、
「おかんの昼ごはん」というタイトルで連載がつづいている↓

http://www.1101.com/essay/


「老い」が見え始めた母親を自分の中でどう受け容れていくか、
というテーマを軸に、

たくさんの読者の体験、考えを紹介、
そして著者の思い、考え、が綴られている


7回目の今週の記事の中に、
「年寄りは二度わらし」という言葉があった

老いるということは、こどもに還っていく、ということ、と




確かに、高齢者を見ているとそう思う


天に還る段階で、生まれたときの状態に戻っていくのかもしれない

それだけ、俗世の煩悩を離れ、
魂が純粋に還っていっているのかもしれない


ただ、この世では、肉体をまとっている


赤ちゃんやこどもは、肉体である外見が、初々しく、かわいい

なので、できないことだらけで、周りが大変でも、
そのかわいさから、なんなく世話をしてもらえる対象になる


しかし、高齢者の肉体は、長く生きた年月を経て、酸化し、老化している

無条件で、かわいがりたいと思えるものではない



プラス、
そこに、家族にとっては、

元気で闊達なときのおじいちゃん、おばあちゃんのおもかげが、
鮮明に脳裏に焼きついているので、

まず、変わっていくその姿を受け容れることから始めなくてはならない


著者は、その瞬間を「消春」と表現した

「青春の終わり」

そしてそれは、
「初めて”死”と”老い”を自分が本当に受け容れた瞬間」と



こどもでいられる時間の終わり、
そして、覚悟


誰もがとおる道


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私の両親は、まだ60代半ばと若く、その瞬間には至っていない

しかし、いずれ必ずやってくる


母親は、
自分の母親が寝たきりになり、重度の認知症になったことを
いつも憂いていた

聞きたくないことばをたくさん聞いた



母親の育った環境、親との関係、
そのときに置かれていた立場、、、諸々、、

いろいろ考えれば、「仕方ない」ということばが出てくる


頭ではそう思っても、心はもやもやしていた

けれど、私は私で、祖母に対し、
母親と同じ立場でしかいることができなかった


そのことは、今でも心にずっと引っ掛かっている



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奇しくも、今年、年頭から、私に与えられたテーマは

「母との関係性」だった


立て続けに、それに関する話が、
信頼している方々との雑談や、読んだ本、観た映画、

それから、人からなにげなく聴いた話、等々

次々に飛び込んできている


これまでもずっと考えてきたことだけれど、
ひとつ、新しい展開を迎えるときなのだな、と思う



大きな脱皮を迫られている

そして、その痛みをきちんと正面から受けとめることができれば、
それは必ず自分に新しい感覚を与えてくれる気がする



$~self education&produce~

来月は、もう、ほおずき市黄色い花

稽古に通わせていただいている古武道で、

1月から新しく薙刀(ナギナタ)を教えていただいている


ナギナタ、というと、

”頭に白いはちまきしたいさましい女子が
 
 長いものを振り回す”


そんなイメージが一般的ではないだろうか


長いもの、というのは合っている

稽古用のもので、2mくらいある


ただ、女性の護身用としてではなく、

その昔は立派な武器だったようだ




稽古は、ご指導下さる女性がとてもすてきな方で

とても楽しみなのだが、


薙刀の稽古はひと月かふた月に1回しかないので、

その扱いになかなか慣れない


まず、稽古場に持っていくのが大変


大江戸線は天井が低いので、まっすぐに立てられないし、

うまーく斜めにしたり、持ち運びにとても気を使う




武道の技術が高じれば、実技のときのように

手でなく体で扱うことができるようになり、

持ち運びも容易になるようなのだが、

拙者、なにぶん未熟者なので、難儀である




そこで、先日の稽古に行く前、

「よし、まずは道具に親しむことだ」と思い、

名前をつけることにした



こういうのは、パッとひらめいたものに限るひらめき電球




命名

「ナタリー」



・・・


ナギナタ→ナタリー・・・汗



なんで洋名はてなマーク  そのままじゃん!?


というつっこみはご勘弁を・・・(__).。o○




ひらめいたのだからしょうがない



それに、ベタベタな和名、それらしい名前をつけてしまうと

あまりに大層すぎて、逆になじまないと思ったので

洋名がいいのだと思う、、、


たぶん。




実際、名前をつけたら、なんだか親しみがわいて

持ち運びが苦ではなくなった気がするし、稽古もより楽しくなった音譜


よしよしグッド!




・・・ということで、

他に持っている道具(武器)たちにも、

この際、命名してしまうことにした




ちょうど稽古を初めて1年経ったし、そろそろいいかとも思い柔道



今日、仕事であちこち移動している間、

歩きながら、電車の中で、考えてみた地下鉄



そして、命名



・居合刀 → 「那智殿」  ・・・愛称「なっち」

    *由来・・・熊野、那智大社から拝借
          ここのご神体は、那智の滝の龍神様キラキラ
          龍好きの私の居合刀には
          鞘と鍔に龍がデザインしてあるので


・木刀 → 「松平右京亮」 ・・・愛称「右京」

    *由来・・・古地図によると、うちのあたりは
          松平右京亮邸であったことがわかったので
          (ちょうど今日行ったお客様に江戸の古地図を
           いただいた)


・小太刀
(短い木刀) → 「左京亮小太刀」 ・・・愛称「左京」
 
    *由来・・・言わずもがな
          +
          ニ刀のとき左手で持つので


・杖 → 「曽我五郎時致」 ・・・愛称「五郎」

    *由来・・・杖の演武に舞踊「雨の五郎」の振りを
          ちょこっとだけ入れさせてもらったので




ぜんぜんふざけていません

おおまじめです


これから、より親しみをもって、稽古に励めると思います流れ星

(かなり自己満足の世界あせる




ちなみに、ナタリーには、姉妹ができました宝石赤

稽古の帰り道が一緒の、

先輩であるあちさんが持っていらっしゃる薙刀を

「ナターシャ」

と名付けてくれたので晴れ すごくうれしいですニコニコ




$~self education&produce~

これがその、江戸の古地図と現代地図がリンクしたMAP本
(現代の地図を透かすと、対応する古地図が見える)
萌え萌え~♡ニコニコ
ずっと、人に何かを聞くことを知らなかった

わからないことは、自分で考えるか、そのままにしておくか、どちらか

悩みごとも、同じ



方法を知らなかったのかもしれないし、

それ以上に、人を信用していなかった気がする


小さい頃、一番近くにいた大人は、両親

しかし、私は両親を心の底で信頼できていなかった


そして、学校の先生も


この人なら聞いても大丈夫、って思える人がいなかった



成人してもそれは同じで、


友人・同僚・先輩・上司


誰もそう思える人がいなかった



そういうものだ、と思ってしまえば、特に不自由ではなかったと思う


ただ、時々、”どうしてなのかな ”と考えることはあった




ようするに、今思えば、傲慢だったことが一番の理由だと思う

どうせわかるはずがない、というような、

まるで自分が高尚な立場にでもいるような感覚

それから、

この人に聞いてもむだ、という結末を

勝手に頭の中でつくり出していたと思う



それらは結局、弱い自分、認めたくない自分を隠すために逃げていて

本当の自分を見ようとしなかったから、だと思う


どこかで確固たる自信がなく、素直さや弱みをさらすことが

できなかったんだと思う


間違ったプライド、というやつだ


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そんな私にも、遅まきながら、今では

「先生」「師匠」と呼ばせていただき、いろいろ教えていただける方が

気づけばたくさんいる


そして、加速度的にどんどん増えていっている




それは、自分の未熟さを正面から見、受け容れられるように

なってきたからだと思う



たくさんの気づきや教えをいただけて、

心から、本当に、、、ありがたい



広義では、自分の眼に入るものすべて、

ただすれ違っただけの人からも、

その行動を見て教えをいただくことがある




すべてを閉ざしていたのは、自分の心だったのだ


*****************************

そのきっかけを作ってくれた師匠とは、今、少し縁が離れた

”時期”なのかもしれないけれど、

数々の教えは、私の体に残っている


そして、これから先、何年も経って、

”ああ、こういうことか”

とやっと自分の身になることも多いと思う



だから、現実的に接触はなくても、意識が離れることはない


そういう”ご縁”なのだと思う


*****************************


仕事で独立する直前、どうやって生きていこうか、悩み、

”生まれたきたことの理由、意味”、

その答えを何度も心に問いかけたけれど、

そんなに簡単におりてくるものではなかった



でも、あれから3年、ほんの少しずつ、

本当に少しずつではあるけれど

その答えに気づかせていただいていると感じることがある


だから、あせらなくていいんだと思う

あせらなくてはいいけど、怠けないように、日々を大切に生きる



そして、つい最近まで忘れていたけれど、

3年前その問いかけに

そのとき、ひとつだけもらえた答えがあった


「自分で体験したことを、
 人に何らかの形で伝え、”気づき”を与える」




”気づき”というと大層に感じるが、

みっともない姿をさらすことで、

気づきを感じていただけることもある



この漠然とした概念を、少しずつ具現化できますように




$~self education&produce~

ビスコの裏面♡
犯罪に近いかわいさ♡