5月14日(月) 羽田空港からパリまで

  構想2年、初の海外サイクリングのために1145発のANAで羽田国際空港からパリに向かうことになった。心配していた自転車の輸送はANAへの事前申請のお陰もありすんなりと手続きを終えた。出国の手続きを終えリュックサックとウェストポーチを持って登場ゲート前でいる。パリまでの飛行時間は13時間あまり。ドゴール空港からパリ市内のホテルまでリムジンにするか、タクシーにするか、未だに決めかねている。試行錯誤しながら旅をすることになりそうだ。
 

 

出国時の荷物の状況


 

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搭乗機ANAーNH216便


 

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格安チケットでも機内食は同じ



  5月14日1637ドゴール空港に着陸。それから通関し荷物を受け取るまでに1時間以上かかるのんびりぶり。荷物を受け取るためにターンテーブル前にいると、空港の係りが自転車を持って来てくれたので助かった。

  地上勤務員に、リムジンバスの乗り場を尋ねると、ターミナルを出たところにあるという。意外と簡単にバス乗り場に行けた。バス乗り場で乗車券を買おうとしたのだが、自動券売機の使い方がよく分からない。試行錯誤していると、椅子に座っていた女性が、そちらの機械は壊れています、どこまで行かれますか? と訊くので、モンパルナス駅まで、と答えた。すると彼女が親切にカードの暗証番号の入力の所まで教えてくれたので助かった。フランス人は優しいですね。

  次に来た日本人が同じように券売機で四苦八苦していた。今度は自分の出番だ。知ったかぶりで自分が学んだやり方を教えた。乗車券を受け取った彼が領収書が欲しいと申し出た。領収証の受け取り方については聞いていない。それでまた彼の女性にお世話になることになり恥ずかしい思いをした。

  とりあえず17ユーロでモンパルナス駅までたどり着けた。霧雨が降っていた。宿は400メートルくらい先の筈だ。濡れてもたいしたことはあるまい。まだSIMを購入していないのでスマホが使えない。バス停付近でうろうろしていると置き引きやスリに遭いかねない。準備していた地図を頼りにどんどん歩いた。だがホテルの看板が見当たらない。15分くらい歩くと目的のホテルからどんどん離れていくような気がした。自分の位置さえ分かりかねた。

  30分近く小雨の中を歩いたのでダンボール箱が濡れてきた。タクシーをと思うのだが、濡れた大きなダンボール箱を運んでいるのでタクシーが止まってくれない。あきらめかけた頃にプリウスのお兄ちゃんが通りかかった。停めて料金を訊くと、メーターの料金で運んでやるよ、という。それでダンボール箱を載せようとしたら後部座席を倒さねばならなくなった。その途端20ユーロなら請け負うと強気に出てきた。じゃ、中をとって15ユーロでどうだ、と言うと無視された。やっと捕まえたタクシーなので手放したくはない。ホテルは近いはずなので丸儲けになるなと思った。タクシーが走り始めるとホテルの番地は目と鼻の距離だった。ホテルの番地についてもホテルの看板が見えない。二人が目を皿のようにしてホテルの番地付近の一方通行の道を行きつ戻りつして探すことになった。タクシー料金がどんどん上がっていく。10ユーロになった。そのとき右手のレストランのテントの陰にエドガーキネという小さな看板が見つけた。お兄ちゃんがホッとした表情になった。私も適正料金近くなったのでホッとした。

  宿にチェックインすると自転車を部屋まで持って行き輪行準備をするつもりでいた。ところが部屋は4階でそこまで長くて細いらせん階段を使わねばならない。自分の身一つでも足を踏み外しそうな階段だ。今夜の輪行準備を諦め、自転車をフロントに預け、明日の朝早くやることにした。

 


目立たないホテルの玄関


 

狭くて転げ落ちそうならせん階段


 

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ホテルの部屋は必要にして十分な広さ




 5月15日(火) パリからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで
 
  時差があり早く目覚めた。起床後(6時頃)TGVの乗り場の下見に向かった。するといとも簡単に駅にたどり着けた。昨日道を間違えた原因はバス停の位置にあった。モンパルナス駅前は道路が上下に2層になっており、フロア的に一つ下の道を起点としてスタートしたのはいいのだが、ホテルに向かって歩き左折する場所からホテルの看板が見えず、そのまま進んであらぬ方面に行ったようなのだ。途中見かけた人に英語で訊いても英語を話せる人が見つからず、結局はタクシーのお世話になってしまった。空港から宿までタクシーなら55ユーロ。バスとタクシー併用で37ユーロ。苦労だけ買ってしまったようで歯がゆい気がする。

  ホテルに戻ると自転車をホテルの前に引き出し輪行準備を始めた。早朝なので置き引きの心配はないのだが、用心のためホテル側に荷物、道路側に私がいるようにして作業を進めた。輪行準備が終わると大きなダンボール箱の処分が問題になる。そのため細かくするためのカッターを用意していた。幸いゴミ収集車がやってきて、要らないのなら持って行くよ、と大きなダンボール箱そをそのまま持って行ってくれた。カッターは無駄になったが、まあいっか。

 

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ホームにある電光掲示板



  心配なので2時間前にTGVホームに向かった。15分後には荷物検査を受け改札を通過した。改札口を入ると列車が離発着するホームが並んでいるところに出た。まるで扇の要のような場所だ。どのホームで待てば良いのか困ったので駅員に乗車する列車のホームを尋ねた。すると出発20分前にブルーダイヤに出るからそれを見ろという。今度はブルーダイヤが分からない。振り向くと遠くに電光掲示板が見えた。左右に列車のダイヤが出ている。左側がブルーで表示されていた。これを指しているように思えた。重くて大きな自転車を抱えて動かねばならないので気が気ではない。その場所を離れるのが恐ろしく、座るところもない場所で1時間半待たされた。ブルーダイヤに「TGV 8535 Hendaye 9」という表示がでた。すると旅行者たちが一斉に動き出した。チケットには18号車とある。18号車は先頭車両だった。大きな荷物を抱え制約された時間の中で1列車分の距離をふうふう言いながら歩かされた。このいい加減さがフランスの良いところなのかも知れない。TGV 8535 Hendaye行きは0952警笛も案内もなくするすると発車した。 

  まだまだダウンが必要な気温だった。TGVから新緑に覆われた緑の平原を見ると、大らかな気持ちになれそうな気がする。それにしても空腹がしみてきた。探せば食べるところがあるのかも知れないが席を立つ気にはなれない。バイヨンヌで何か食べるところがあるといいのだが・・・。

  乗車して気になったのがTGVのドアの裏側に貼ってあるチラシだ。写真は車内側から撮影したものだが、にわかづくりで車両番号と行き先が記されている。ひょっとするとフランス人は組織的、計画的にやるのが苦手なのかな? でも逆に融通性に長けていて強靱さに特徴があるようにも思えてくるから不思議だ。

 

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TGVで見かけた列車の表示



  15日1347に乗り継ぎのためにバイヨンヌでTGVを降りた。駅の構内で発車時刻表を見ると、サン・ジャン・ピエ・ド・ポー行きの電車はバスに変更とあった。でも何もアナウンスがあるでもなく、15時52分の出発時間までベンチで待つことにした。

  20分前になっても何もアナウンスがない。不安を感じ駅員に尋ねると、駅を出て左で待てという。駅を出て左を見るとバスがこちらに向いて停まっていた。運転手が車体の右側のトランクルームの扉を閉じている。今にも出そうな雰囲気だ。慌てて開いている左側のトランクルームの荷物の上に無理やり自転車と自分の荷物を載せ急いで乗車した。私がそのバスに乗る最後の乗客となった。あとから来た数名のお客さんを残しバスは無情にも発車した。まさに間一髪だった。

 

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サン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで乗ったバス



  バスの右手にバイヨンヌのサント・マリー大聖堂の尖塔が見える。バスは左に進路を取り古い町並みの中を進んでいく。前方にロータリーが見えた。バスは車体を傾けながら狭くて小さいロータリーを3/4回転して新しい道に入った。右手に川が見える。だがそれも長くは続かない。だんだん山奥に入っていくようだ。いくつかの丘を越えると、屋根と窓枠が赤レンガのように彩られた家が並び建つようになりました。まるでおとぎの国のようだ。残念ながら写真を撮り損ねた。

  私の座席の右横には隣国の人らしい目が細く色白で細面の若者が座っていた。ついつい無口になり眠気に任せた。1時間15分後にサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに到着した。バス停は旧市街地から下ったところにあった。宿は旧市街地の真ん中にある。自転車のダンボール箱を小型のキャリアに載せ、サイドバッグ2個入った青いバッグを引きずりながら坂の上を目指した。歩道の手入れが悪く歩道から車道へ、車道から歩道へと道を選びながら進んだ。3メートルくらいの階段を持ち上げた後は路面が石畳になった。動きの悪いキャスターだったのでしばしば持ち上げねばならずくたびれてしまった。

 

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1泊10ユーロのアルベルゲ



  ジート マキーラという27ユーロの4人部屋にチェックインすると、とりあえず巡礼事務所を訪れ、アルベルゲと地図をお願いした。アルベルゲの案内表は貰えたが、サイクリストのための地図の準備はないようで貰えなかった。巡礼のシンボルはホタテ貝になる。1ユーロ払って奥の箱から形の良さそうなホタテ貝を選んで手に入れた。巡礼事務所を出ると町を散策した。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーはスペインとフランス国境のフランス側の町なので城郭が残っていた。城郭といっても城壁や石の門が残っているだけに過ぎない。
 

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ジート マキーラというアルベルゲの4人部屋


 

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巡礼事務所の前で順番を待つ人々



  町を散策後ピザ店に入りビールとピザを頼んだ。するとビールのサイズは、大ですか、小ですか、と訊いてきた。他のテーブルを見ると中ジョッキくらいのビールを飲んでいる。思わず、ミディアム、と返事した。すると隣の女性たちが声を出して笑った。大小いずれかで答えるところを、ミディアム、と返事したのだからトンチンカン間違いなし。
 

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町の中心部を流れる川


 

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城壁と門


 

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大きなピザ



  その女性たちの奥から日本語が聞こえてきた。バスで右隣に座っていた若者のようです。女性が、もしあなたに会わなければ今頃は日本に帰っていた、とヨイショする。彼は、防大を受験しようと考えていた、と真面目さをピーアール。理由は学費が安いからだとか。彼女に言う話なのかと疑問に感じた。二人のハイテンションなキャピキャピの日本語が耳障りでピザの味が不味くなっていく。中生を2杯飲んでピザを1枚平らげ締めて1ユーロの夕食となった。

  宿に戻ると自転車の組み立てに必要な部分が足りないのではないかと気になった。とりあえず組み立ててみようと思った。でも肝心の変速機を取り付けるボルトが行方不明なのだから力が入らない。組立途中で諦め部屋に戻ろうとすると、宿の亭主が、明日は7時起床、8時半チェックアウトだ、とわざわざ告げにきた。
  
  聞いた以上明日の朝もたもたしてはおれない。慣れぬ組立だからやれるところまでやるしかない。六角レンチやスパナを出し入れしていると、パンク修理キットの箱に小さなネジが抱き合わせてあるのを発見した。忘れないようにとやった本人が忘れているのだから高齢者恐るべし。時間はかかったが明日のチェックアウトに間にあうところまで作業は進んだ。出たゴミの処分を明日の朝依頼できるようにして午後10時前に部屋に戻った。すでに他の3人はベッドにもぐり込んでいた。午後10時半少し前にスイッチの音がして部屋が暗くなった。