チョン・ユミ、コン・ユ
キム・ミギョン、コン・ミンジョン、パク・ソンヨン
キム・ソンチョル、イ・オル、イ・ボンリョン出演
ユ・ヨンア脚本、キム・ドヨン監督
『82年生まれ、キム・ジヨン』(2019年)

(以下、映画の核心に触れる部分もございます)

チョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジヨン 82년생 김지영」映画版は
冒頭の、ジヨンが家事に追われて夕方やっとベランダに出て
夕焼けをぼーっと眺めているシーンから胸を締め付けられた。
映画が始まって2分も経っていないはずなのに
涙がこぼれそうになった
(我ながら、初めから泣いてしまってどうするの?と思った)。
後半、「夕方になると憂鬱になる」とジヨンが告白したこととも
それは符合していたようだった。
時間に追われ、やっと一息のはずの夕焼けが
ジヨンにとっては「憂鬱になる」時間だったとは...
彼女の辛さがスクリーンには最初から刻まれており、
最後まで観ていられるだろうか、と一抹の不安を覚えたほど。

憑依して放つメッセージは
男尊女卑社会等に起因する理不尽さに対する
悲鳴、心の叫び、訴えであったが
ジヨン本人の言葉では何も言えない、言い出せないという圧力、
女性を萎縮させ、その「声」を奪う
社会の不平等さや歪みを浮かび上がらせもする。

女性に高等教育は必要ない、賢くなる必要もない、
会社や社会でリーダーシップを取る必要もない、など
「女だから」「女のくせに」という呪いの言葉は
家庭でも社会でもあらゆるところに埋め込まれている。
呪いの言葉に囲まれ押さえ込まれて育って、
自己肯定感を失い疎外感を植え付けられれば
理不尽さに抗い、呪いの言葉を撥ね退けて
声を上げるだけの勇気が女性にどれほど残されているだろうか。
(余談だが、女性の受験生だけ、180点満点で80点も減点した
聖マリアンナ医大やその他医大の勝手に減点問題など、
日本の現実、人権侵害が暴力的且つ犯罪的でもっと恐ろしい)

それは、韓国ドラマ「椿の花咲く頃 동백꽃 필 무렵」でも同じだった。
主人公のドンベクやヨンシクの母らが
「運が悪い(사주팔자=四柱八字のせいにされる)」
「子どもがかわいそう」等の決めつけや呪いの言葉をぶつけられ、
不運や不幸にまみれた周縁者として押し出され
何も言えなくなる。
萎縮させられ、声を奪われていく。
ドンベクが最初のころ、もごもご言葉尻を常に濁し、
最後まではっきり言えないのも
萎縮させられ、話すことを奪われているから、と察した。

ジヨンの憑依は、
ジヨンに残された、小さくささやかな、しかし非常に切羽詰まった
最後の抵抗だった。ぎりぎり正気を失わずに生きていくための、最後の抵抗。
その後ジヨンが自分の声、自分の言葉を取り戻すきっかけは
やはり母親や姉らが声を上げ、ジヨンの手を握り、
味方でい続けてくれたことだろう。

前半に「ママ虫 맘충」がぶつけられるのか、
とハラハラした公園のシーンがあったが、
(原作では確か公園で「ママ虫」の暴言を聞く)
ジヨンはその場を去った。
映画のクライマックスではカフェで、
他にも子連れの母親たちが見守る中で
ついにジヨンは「ママ虫」という悪意ある言葉の暴力に
声を上げた。今度は憑依せず、自分の言葉で声を上げた。
「椿の花咲く頃」でもドンベクが、ヨンシク曰く「どんどん強く」なり
語尾を濁さずにはっきりものを言うようになった展開も想起、
共通するような普遍的なカタルシスを感じた。

それは、BTSのRMが2018年の国連総会でスピーチした内容とも呼応した。
BTSは何度も「Speak Yourself」のメッセージを伝えている。
他人の視線で自分を見ることをやめ、
自分の声を聴き、自分の声で話すことを促している。
ジヨンがついに憑依せずに声を上げたことは
他人の視線で自分を見ることをやめ
自分の声に耳を傾け、「キム・ジヨン」という(あまりにありきたりな名前だが)
アイデンティティを取り戻して自分の声で話すことを実現できたということ。

夫が育児休暇を取り、国文科卒のジヨンが書くことで評価もされ
映画はハッピーエンドの趣ではあるが
カルテとして、社会の宿痾のカルテ的に
過去あるいは現在地のカルテ的に分析的に提示された原作と比べると
社会が変わろうとするためのプロセスがこんな風に始まった、という
シミュレーションや一種の処方箋としても描かれていると感じた。
これからどう変わっていくか、変えていくか
パラダイムをシフトし展開していくか。
最初に変えるのは身近な家族から。
セクハラ研修に夫の会社が参加しているシーンは、
はじめの一歩かもしれないが
水面に波紋が広がるように、
家族から社会へ、変えていき変わっていく連鎖が
シミュレーション的に展開され、始まりつつある描写と感じた。
(韓国ほどのポジティブあるいは具体的な変化が殆ど見られない日本から見ると特に)
他の国から見ると違った感想を持つかもしれないが
未来のシミュレーションのようにも見えるところに
一筋の希望が感じられた。

ジヨンが憑依したのが母や祖母であることから、
女系の、縦のつながりの連帯を感じ取る一方で
母や祖母の憑依とその言葉が世代を超えた
「女の一生」の苦しみや痛みの反復という歴史をも召喚し集約し
世代を超えて共通する女性の声と共感を結びつける装置、ナラティブにも感じられた。
そのあたりも「椿の花咲く頃」と重なるような描写だった。
ドンベクの痛みや苦しみは
ドンベクの母やヨンシクの母世代の痛みの反復で、その苦闘と重なりながら
呪いの言葉に囚われた歴史の反復には抗い、
乗り越える力の源泉のひとつが女系の連帯だったから。

一方、男性たちにとり憑いているのは
男尊女卑や男性優位で、
発想、言動全てに長い家父長制の歴史が刷り込まれ
特権がこびりついている、権力、特権意識に耽溺し拘泥した痼疾。
ジヨンの憑依が痛み苦しみの表出、というのとは対照的で
ベクトルが違う、ということも考えていた。

「大丈夫、あなたは一人じゃない」のコピーが添えられた
日本版の映画ポスターは、その構図から
夫がそばにいるから大丈夫、のようにも見えて、
ミスリーディングにも思えたが...
実際に映画を観てみると、
(夫だけでない)人とのつながりや連帯があってこそ、
少しずつ変えていく、変えられるという奥行きがあった。
私のように、一瞬のシーンで冒頭から泣きそうになってしまう観客には
原作との相違も受け止めつつ、
あまり悲観せずに済む、マイルドな演出になっていて、少しほっとした。

余談だが...自信がなさそうだった大坂なおみ選手が
声を上げだしたことも「Speak Yourself」

普遍的な「あなたとわたしの」物語の余韻。

to be continued...!?

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