キム・ミニがミューズとなって
恋し、愛に生きる女性たちのフレームから
聖女として愛にささやきかける女性のフレームに
フェイズが変わった印象も。
どこか
聖母のような聖女である恋人(ホン・サンス監督の理想形か)が
画面から滴り(したたり)落ちているよう。
女性の執着はこれまでも特に醜くは描かれていなかった(気がする)
ホン・サンス映画だが
キム・ミニの油っ気のない、俗世離れして淡泊に見え実は深い愛には
聖性のエッセンスが振りかけられ
ガラスケースに閉じ込めた趣も。
そうしてそれは、現実の監督と女優の
実際はどろどろした浮世の瑣事を
パラレルに純粋に結晶させているようにも見える。
彼らの世界、彼らの愛の世界を美しく昇華したかたちで提示して。

『それから 그 후 The Day After』(2017年)では
ボンワン(クォン・ヘヒョ)の不倫相手に間違えられたアルム(キム・ミニ)が
モノクロで見ると、特に斜めの横顔など
薄い顔がチャンスク役キム・セビョクに似ている。
キム・セビョクとキム・ミニは似ている。
カラーでは二人の差異がはっきりしてしまいそう、
モノクロの解像度だからこそ、似た風貌であることが明らかになり
アルムは不倫をしてしまう女から最も遠く、
二人の女は分離しているようで実は遠からず、といった感触も。
「誠実ではない」とボンワンに食って掛かるチャンスクと
「公私の区別がつけられない人」とボンワンをばっさり切り捨てるアルムを見て
パラレルワールドのように二人の女がそれぞれに傷つき
男を責めている情景は
いつか来た道でこれから通る道、過去と未来が映っているのかもしれない。
チャンスクがアルムの分身で、
二人でひとり...という思いも。

タクシーの運転手(キ・ジュボン)に美しいと言われたアルムは
車窓から空を見上げ
夜降る雪は天の恵み、と一点の曇りもない聖女らしい横顔でつぶやく。
信じるものを見つけて一生懸命生きる、というひたむきさ慎ましさ
真面目さ、この世に天の恵みを見出す聖性は
ホン・サンスの過去のミューズと一線を画す。

『正しい日 間違えた日 지금은 맛고 그때는 틀리다
Right Now,Wrong Then』(2015年)で
ハム・チュンス(チョン・ジェヨン)が華城行宮福内堂で
対角線上に座っていて一瞬で
ヒジョン(キム・ミニ)の隣に移動、
相手のパーソナルスペースに突入する手管、シーンなど
ホン・サンス監督を思い浮かべて観ると引いてしまう。
お酒を飲みながらミニにあれこれ言うシーンなども
言葉巧みな詐欺師にしか見えなかったw
それでも、監督の映画を観に来たヒジョンは
チュンスが刺身屋の前で拾って左手薬指に嵌めた
「私たちの結婚指輪」を嵌めたまま監督に会いに、映画を観に来ていたので
浮気で不実な男にとっては男冥利に尽きる、信じやすくて一途な女
(そんな詐欺師のインチキ指輪を捨てもしないなんて!)。
落ちていた指輪を拾ってプレゼントしただけで
愛を信じ、喜んで指に嵌めたままの女なんて男の妄想、ファンタジーが過ぎる。
しかし、映画祭の会場でチュンスが去った後に見せた
ヒジョンの揺れる心、泣きそうになるも一瞬微笑んで
悲しいような幸せなような複雑な心の動きを表現しきった
キム・ミニの演技は素晴らしい。
仏像が見下ろすような位置にある家に住み
仏像が助けになる、と話し(ユン・ヨジョン演じる母親は信心深そう)、また
「純粋なことが好き」とも言うヒジョンだが
『それから』や『夜の浜辺で一人』ほどは聖性は
顕著ではない。
要所要所で鳴るお寺の鐘の音「ゴーーーーン」は聖性というよりはむしろ
コントのような切り替え、リズム、可笑しみも生んでいたが
最後に雪の中を歩み去るヒジョンの背中は
正しい日も間違えた日も全て上書きしてしまうだけの愛の余韻が滲んでいた。

『夜の浜辺で一人 밤의 해변에서 혼자
On the Beach at Night Alone』(2017年)の
ヨンヒ(キム・ミニ)が
私と同じようにあの人は私のこと考えているかしら?と健気、
あの人を思って歌う歌も遜った一人称の歌詞で
対等ではない、片思いのような非対称な切なさも感じてしまったが...
葉牡丹に頬寄せるある種の清らかさは
サイレント映画のリリアン・ギッシュのよう。
これまでは明示的にヒロインがクリスチャンあるいは仏教徒と
示したことはなかったと記憶しているが(記憶違いはご容赦)
『それから』ではヒロイン自身がクリスチャンと明かしてもいた。
『夜の浜辺で一人』では「自分が本当に望むものを確かめたかった」と言いながら
小さな橋を渡る前に地に跪き祈る姿にも微かな信仰を感じ、聖性があった。
待つことも欲かしら?と待つことすら欲と捉える自省するような姿からも
俗世の欲から自由で
浮世離れした聖性をまた浮き彫りにしているよう。

一方で、
女性の心に痛みを残したままの、誠意がなくどこか狡猾な男性
(すぐ泣く、泣いて誤魔化すし)の描写は
微かな贖罪を湛えながらも弁明であり、
いつものことながら、忸怩たる、カタルシスのなさに取り残される。
そんな同工異曲の世界の掃き溜めの鶴として輝くのが
キム・ミニの純真、ひとすじの聖性。
相変わらずだらしなく無責任な中高年男性主人公の
卑怯にも見える愛に穢されないよう、
キム・ミニにはそんな聖性を纏わせ美しく純粋に結晶化させることで
キム・ミニを俗世の思惑、不倫の謗りからも切り離して守っているようにもみえる。
監督の演出で。
聖女だから、とアンタッチャブルに付して。
祈るような、しかし浮世の幸福を欲していないような聖なる寂しい彼女の姿が
俗世の瑣事を一掃するようなナラティブで。
俗世の瑣事を一掃するのは
チョヌ(クォン・ヘヒョ)ら同情し監督の気持ちを代弁してくれる
周囲の人々も。
「責めた奴らの方がもっとひどいことをしている」という相対主義的なセリフ等で。
渦中だけに、世間に言いたいことや言い訳もセリフに存分に混合されているようだった。

男性からすれば実は都合がよいかもしれない、
般若に豹変することなく呪詛も一切なく聖女に留まる恋人は。
「心から愛してくれて感謝しています」と殊勝で。
女性から見ると、うーーん、こんな男って...(-_-;)と今回もまた。

(監督が望み到達したい理想の楽園のようにも映るが
現実の不倫劇の美しい部分だけ取り出し
キム・ミニに聖性を纏わせて切り離し
美しい結晶のようにフレームに収めた趣も。
現実の暈(halo、ヘイロー)のよう)

シンメトリーとアシンメトリーのあわい、非対称性ある二分は
歪んだ鏡像だったり反復だったり
(あの時と今
モノクロの解像度で似ているミニとセビョク
ハンブルグと江陵...)ソナタのモチーフのような繰り返しと差分は
相変わらずだろうか。

ber silvbear minhee.jpg
ベルリン国際映画祭公式Twitter より。
この写真はなかなかステキ

『自由が丘 자유의 언덕 HILL OF FREEDOM』で
ナミ(チョン・ウンチェ)が
サンウォン(キム・ウィソン)に抗議していたように
韓国男性や社会の思考フレームに異議を唱えるヒロイン(キム・ミニ)の一面は
描かれていたものの、全体的には男性監督=ホン・サンスが理想とし
そして現実に獲得した、般若には豹変しない可愛い女、
俺の聖女が描かれている感。
俺の女は聖女だから(俗世の連中からは)アンタッチャブルなのだ、と。そうして、おれたちの愛も、と。
『クレアのカメラ』は未見なので
それを観て見方が変わるかどうかだが...

ホン・サンスのカメラは
樹をぐっと上がって空を見上げるようなシーンや
仏像を見上げるシーンが2回ほど
『正しい日 間違えた日』で
ライトモチーフ Leitmotiv のように奏でられ
主題の変奏曲であることを伝えるかのよう。
一方、酒席でのズームは
ヒロインの裡の小さな怒りをクローズアップする。
左側と右側にそれぞれ見切れ気味チェ・ファジョンとチョン・ジェヨンの
二人を従えて、そこだけ空気が変わっていることを可視化する。

菩薩も瞋りを湛えることがあるのだ。



最近のホン・サンス監督作品では
『あなた自身とあなたのこと 당신자신과 당신의 것
Yourself and yours』の恋人に翻弄されるキム・ジュヒョクの
コミカルな演技が楽しく、もっと好きかも。

to be continued...!?

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