ポン・ジュノ監督の過去作と比べると
人間を抉り出すように描く深さ、洞察があまりないようで
(あったとしても描写が説明的...)、
またいつものポン・ジュノ映画のように
他者や社会が人間に落とす陰翳等もそれほど描かれていないので
余韻の長さはない。

1984年初版のバンデシネ(bande dessinée、B.D.)原作「Le Transperceneige」を
映画化することにより
マンガの二次元表現を超えて
主題等を空間的に把握できたのはよかった。
ストーリーは旧約聖書ノアの方舟に
「レ・ミゼラブル」の革命が入り混じった趣もある。

あらすじ

氷河期を迎えた近未来の地球。
生き残った人類は永久機関となった雪国列車スノーピアサーの中で生活していた。
列車の中は厳然たる格差が存在する。
先頭車両の上流階級が後方車両の最下層を支配していた。
ある日後方車両のカーティス(クリス・エヴァンス)が反乱を起こし
前方へ前方へと進んで行くが...
ソン・ガンホ、ティルダ・スウィントン 、エド・ハリス、
ジョン・ハート、コ・アソンら共演。
ポン・ジュノ監督『スノーピアサー/설국열차/Snowpiercer』(2013年)

snowpiercer.jpg

(以下、映画の核心に触れる部分もございます)

後方車両から
前方車両へと突き進む革命の動きは直線的(一方向的)で
キリスト教が抱えるlinearリニアーな世界観を体現しながら
雪国列車自体は1年かけて軌道を一周するという円環構造も抱える。
1年というサイクルはもちろん世界共通の暦であり
地球の軌道に基づく天文学的な事実を備えながら
東洋的な円環的時間の観念や輪廻をも想起させる。
車両間の扉を開けながら
パンドラの箱をひとつまたひとつ開けるように
ボーダーをひとつまたひとつ越えるように
小宇宙、異世界との遭遇が続く。

革命が起こっている「地」、場、toposである列車の進行には
このようにlinearとcycle
ふたつの運動が込められている。
即ち
雪国列車の動きには
LinearとCycle、西洋と東洋のふたつの時間の観念、時間的進行、世界観がこめられ
それが世界を形成しているのだが...

「窓を開ける」という
ある意味列車を(横方向に)Pierce/貫く動作で
リニアーでもなくサイクルでもない
別の軸、異なる方向性を持つ動き、三番目の運動が加わる。
閉鎖され固定化されルーティン化された世界の動きと視点から
新世界的第三の価値観、
コペルニクス的転回ともいえる第三の選択肢が
列車の中の人間、人類に訪れる。或いは掴み取られる。

列車の中に閉じ込められていると
列車の進行に合わせて
linearな視点とcycleな世界観しか持ちえないかもしれない。
そこに突破口を開けたのは
列車を横に貫くような窓だった。

おそらく窓もさまざまなメタファーを秘めているだろう。
二次元のバンデシネ、マンガの原作上では把握し得ない、
空間性、空間把握の変化、遷移を感受し看取することができるのは
映画ならではの「奥行き」と「動き(運動)」ではないか、と思わせる演出だった。

linearでcycleな世界を構築し画面を満たし
そのworld orderで限定し溜めた後で
窓を開けpierceという横断する観点を表現し
新世紀を描き出している。

父と子が悪と善にわかれて対立する設定は
古代ギリシャ時代から、
神話やOedipus Rex(Sophocle)を経て映画『スター・ウォーズ/Star Wars』にまで続く伝統的な物語の系譜だが...
ポン監督インタビューによると本作は
カーティスという息子が父に辿りつくための旅程の物語でもあると。

列車の最後部、出発点のギリアムは良い父で
到達点、先頭車両のウィルフォードは悪い父。
出発点と到達点どちらも父で
善の一面は父性の表の貌で
悪の一面は裏の顔のように
繋がっていて表裏一体だったと気づく。

革命と反乱の動機も過程も
結局
メビウスの輪のようにねじれて一周回った円環構造をなし
終点であり始点である「父」に収束する。
linearに革命と反乱を進行したはずが
ねじれてメビウスの輪のようにcycleをなした
革命の帰結、円環構造は
雪国列車の軌道・1年という周期と重なりながら
映画空間を満たしていた。
その空間を破る、pierceする、貫くのは窓だった。

窓の象徴性。
新しい世界観や新しい時代、突破口。
さらに象徴的なのは
その窓を開けて外界に一歩を踏み出したのは
Train babyと呼ばれる
列車で生まれ育ち地上を知らない者たち。
ヨナは女性で
革命を扇動したふたつの父性、
善なるグレアムと悪のウィルフォードを超越した母性を表す。
黒い肌の少年は
人類の起源としての生命を示唆し
(人類共通の祖先はアフリカ単一起源とする説より)
そのふたりで生まれ直すという、新生を体現するかのよう。

善と悪の二面性を持つ父性と言うOrder(秩序)やシステムに囚われ閉ざされた列車と
=メビウスの輪状のループ・オーダー/Loop Order
そこからの逸脱、脱出、突破、凌駕は
ゆえに母性的で有機的でもある。
近未来にあるいは人類や生物普遍の哲学的思索の過程、
或るパラダイムやオーダー(秩序)、システムを乗り越える、凌駕するプロセスが
空間的に映画空間に表現、視覚化されているようだった。

「狭く長い空間を私は変態的な意味で大好きです」と言うポン・ジュノ監督の
『殺人の追憶』のトンネルや『グエムル-漢江の怪物-』の下水溝という
過去作に顕著なLinearな空間とそこへの沈潜や渦巻きだけでなく
更にそれを横に貫くpierceする横断する動きが三次元的に表現されているのが
新鮮。

父に始まり父に終わる
閉じられた円環に絡め取られた列車と列車内革命という
生存維持システムの限界と終焉は
ナムグン・ミンスの窓の外を見ろ、の一言で反転し展開する。
そんなパラダイム・シフト/Paradigm Shiftも画面を横断する空間描写。

『ゼロ・グラビティ/Gravity』 とはまた異なった趣の再生
長い産道を通って新しく生まれたかのようなイベントを感知させる。

ディストピアSFをこのような空間描出で
表現したのだなぁと。
それにより
そのパラダイム・シフトにより
黙示録というよりは
福音を感じさせた。希望ある。
今後はまた
狭く長い空間の世界に戻るかもしれないけれど...

プロデューサー パク・チャヌク監督の残り香、匂いもそこここに。
パク・チャヌク似の出演者Steve Park、
画面の右から左へ(あるいは左から右へ)横へ長く絵巻のように突撃する革命家たちは
デスが長い廊下を戦い抜いたアクションを想起させる。
飛び蹴りはポン・ジュノ監督印だけれど。
魚に包丁を入れるシーンからパク・チャヌクを想起もし
ハンマー(手斧)等の鈍器も韓国らしかった。ゆで卵も。

10年前に日本のマンガの設定を変えて全く別の映画『オールド・ボーイ/올드 보이』を作り上げたパク・チャヌク監督同様
フランスのバンデシネを換骨奪胎した映画を製作したポン・ジュノ監督から
10年前、2003年の韓国映画 との符号も感じられ。

『殺人の追憶』

『グエムル 漢江の怪物 3D』

『母なる証明』

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