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  私がこの本の存在を知ったのは、作者である村山早紀さんのTwitterを拝見した時だった。本屋大賞が決まる少し前であった。私は昔から『桜』というキーワードに惹かれる質なのだが、この本はそれに付け加え、なにか惹かれるものがあった。
  

  初めて手に取ったのは図書館であった。内容も気になっていたので見つけると、即刻貸出手続きを済ませた。


  初読の感想、これは久々に素晴らしい本と出会えたと思った。長いこと本は読んできているが、面白い本を読んだ際に、先が気になるとどんどん読み飛ばしていく癖を久々に体感した。
  ただひたすらに先が気になる、先が気になると読み進めたため正直細かな描写などは覚えていなかった。ずっとこの本の中に住んでいたい、と思った本であった。


  その後、自分がいつでも読めるようにと書店にて本を購入した。1度読むと結末はわかっているので今度は飛ばさず、ゆっくりと読むことが出来たが、それでもわくわくしながら読み進めていったのだが、ある出来事が私の本を読む手を止めてしまった。




  ある出来事というのは祖父が余命宣告されたことであった。幼き頃から面倒を見てもらった最愛の祖父と、次の正月は迎えられないだろうということであった。
  それを聞いた時実感は湧かなかった。つい先日まで普通に話して、いつかは今より元気になってまだまだ長生きしてくれるであろうと思っていた矢先のことであったのだ。
  正直その時は何も考えられなくなり、読書はおろか、学生の本業である勉強でさえ手をつけられない状態であった。


  数日経ってひとしきり泣いて、漸く気持ちの整理もついた頃、再び本を開いた。それ以前に物語半ばまで読み進めてはいたので続きからの話であった。
  読了された方ならわかると思われるが、半ば頃というのは作中に出てくる本『四月の魚』のゲラが登場する辺りである。
  私はその物語の結論に、心を救われた。


  『一瞬の時の中に永遠があるということ。』
  『もし、世界に魔法や神様が存在せずに、肉体の終わりとともに魂も消えてしまうのだとしても、記憶や思い出は無にならない。ひとつの命がこの地上に存在し、笑い泣いていた日々があったという事実は、死によってしても、ぬぐい去ることができないことなのだと。』
  作中287ページより引用


  私が何より怖かったのは「私の祖父」という存在が消えてしまうことであった。人が死ねばその存在は地上から失われ、記憶もいつかは無くなる、そう思いひたすら恐怖していた。
  だが、この文はどうであろうか。私が悩んでいたことを一瞬にして拭い去ってしまったのだ。例え祖父の肉体が、精神が、魂が消えてしまったとして、祖父と生きてきた思い出は消えることがないのだ。いつまでも私を含め、周りのものが生きている限り心の中で生き続けるのだ。
  そう思うと、心が軽くなり、まだ完全にとは言えないが、幾分かは祖父の死を受け入れられそうな気がしてきた。



  この本が本屋大賞に選ばれた理由も、多くの人がこの本を読んで持つ感想も、私が述べたこととは違うものであろう。この文もあくまで『四月の魚』のものであり、作品そのものである『桜風堂ものがたり』のテーマとは違うものかもしれない。
  然しながら、私がこの物語に救われたのは事実である。恐らく私は、今後の人生もこの本に救われることがあると思われる。
  その度にこの本の作者である村山早紀さんに感謝の気持ちを持ちたいと思う。
  

  このような素晴らしい本を書いて頂き、ありがとうございました。