時は1984年8月、伊藤少年13歳。


同世代の他の少年と同じように、「機動戦士ガンダム」で激しい洗礼を受け、ロボットアニメに傾倒していた頃。



当時サンライズのアニメは「重戦機エルガイム」。開始から半年。3クール目を迎えて、新OP曲が流れた。



ロボットアニメには珍しい、明るい前奏。





「No Reply♪ 琥珀(きん)の砂時計♪」





伊藤少年は衝撃を受けた。





甘くて伸びやかで透明感のある歌声、今まで聴いた事のないハイトーン。





正直、一発でヤラレてしまった。





それが鮎川麻弥(あゆかわまみ)という歌手との出会い。





実はそれが尺の都合でピッチを上げられていたと後に知る事になるのだが、入手したEPを聴いても、その衝撃は決して褪せる事はなかった。




その後も彼女の躍進は続き、代表作とも言える「機動戦士Zガンダム」の主題歌「Z・刻をこえて」を歌い(この曲の作曲者は、かのニール・セダカ氏である)、その後に続いた「機甲戦機ドラグナー」の主題歌「夢色チェイサー」で、女性アニソン歌手として不動の地位を築くに到った。


実はどの主題歌も特にカップリング曲が秀逸で、彼女の最大の魅力である伸びやかなヴォーカルが如何なく発揮されている(特に高音の「い母音」が美しい)のは、カップリング曲の方である。




デビューこそアニメ・ソングではあったが、彼女はれっきとしたシンガー・ソング・ライター。オリジナルのアルバムを10枚発表しているし、ModernTalkingの「愛はロマネスク」をカヴァーしたり(この曲はヘレン・カーティスのCMソングとして起用された)、ダイアナ・ロス&シュープリームズの「Stop! in the name of love」を自身の訳詩でカヴァーして、ファーストアルバムに収録したり、

中山美穂さんや酒井紀子さんといったアイドルに楽曲を提供したりと、多才であった。特に中山美穂さんの代表作である「50/50」のカップリングは、ベストアルバムにも収録された曲で、いつか作者本人のハイトーンで聴いてみたい名曲である。




彼女は「読みかけのミステリー」や「101番目の恋」のように複雑な半音を巧みに操るコンポーザーでもあるし、「GOOD BYE SWEET DAYS」や「何も言わないで…」のように大人の恋愛を描く詩人でもあったし、そして何より、「銀の手鏡」や「ぬくもりの時」のような穏やかで美しい曲を歌う、稀代のスロー・バラード・シンガーであった。


彼女自身が車好きで、A級ライセンスを保持されており、カーレースにも参戦していた事もあり、「クラクション」や「アクセルON」のような、疾走感に溢れた、車をイメージさせる曲も多かった。


車好きでもあった中学生の伊藤少年は、彼女の曲の世界感に憧れ、当時輝く20代だった彼女の美貌に心奪われ、どんどんとのめり込んでいった。


小遣いをやりくりしてレンタル・レコードに行き、節約したお金で徐々にアルバムを揃えていったり、彼女が連載をしていた自動車雑誌「GENROQ」誌を買ったり、彼女がパーソナリティの関東のFMを雑音交じりで聴いたり、高校生になってLPで買ったアルバムをCDで買い直したり、




彼女が当時参戦していた「VWゴルフ・ポカール・レース」の、イージーライダース・チームのプラモデルを買ったり。


(※モデルは小林選手仕様で、彼女の車番ではない)




「Approach」や「SmokeyTownをさまよって」を聴いてJAZZに興味を持ったり、「冬のカーニバル」を聴いてラテンに興味を持ったり、アルバム「101番目の恋」で作詞を手掛けた白石公子さんの著作「もう29歳、まだ29歳」を読んでみたり、大学生になって免許を取り、彼女の当時の愛車と同じ、84年式のCi、87年式のGTiと、ゴルフIIを2台も乗り継いだりした。

伊藤少年が青春期に受けた彼女の影響は、並々ならぬものがあったのだ。


人前で歌を披露すると、巧いと誉めて頂ける事がちょくちょくあるのだが、それは一重に彼女の歌を聴き続けていたからだし、大音量で別の曲を聴きながら、彼女の曲の難しいメロディ・ラインを口ずさむという、訳な解らない練習をしていた賜物だと思っている。




今やベテラン女優の夏川由衣さんのデビュー作であったハウス食品「スープ・ファーム」のCMソング、「夢見る頃を過ぎても」が収録されたアルバム「101番目の恋」と、その後にリリースされた旭化成のマラソン応援CMソングのシングル「風を追いかけて」を最後に、ソロとしての活動が見られなくなり、当時自宅にネット環境がなかった事も手伝って、彼女の活動を追う事が出来ない時期が続いた。




元々彼女は関東を拠点に活動をしていたアーティストで、関西でライヴ情報を得る事もままならず、買い揃えた過去のCDを聴いて過ごす日々が続き、最近までずっとその状態が続いていた。


ちらほら聞こえてくる情報で、5作目のアルバム「CHACE」で共演したコーラスグループ「JIVE」の一員となった事は知っていて、「三菱エアトレック」や「ヤクルト蕃爽麗茶」のCMを歌っているらしいとか情報は得ていたが、CMがCD音源化される訳でなく、保存が容易な訳でなく。


時が経って他にも気に入ったアーティストが出来たり、他の活動にウェイトが移っていったり、正直、少し心が離れた時期もあった。


とはいえ、その間もずっと彼女の曲は俺の生活の傍らにあった。



数年前に知った「スーパーロボット魂」やJIVEのライヴ。どうにかすれば行けなくも無かった。自分自身ネット上で「コンペイトウ」と名乗る位にガンダム好きではあるが、「代表作とはいえ、アニソンのイベントは…」とか、「グループの一員としての彼女は・・・」とか、「どうせ聴くなら彼女のオリジナルで…」などと思って躊躇している内に、結局は行けない事になってしまい、今まで彼女の生声を聴いた事がないままだった。


彼女に一人のアーティストとしての憧れを抱いていた俺としては、アニソン歌手としてアナウンスされる彼女を、見たくて仕方がなくて、でも見たくなくて…という、葛藤があった。




そして、つい先日の彼女のオフィシャルHP。




http://www.ne.jp/asahi/hearty-songs/mami-ayukawa/index.html

(※リンクは御本人の許可を得ています)


そこには最新のライヴ情報が。


その日は仕事で、片道2時間かけて京都から北摂某所に通勤する俺の、普段なら絶対に間に合わない時間。しかしその日はその時はたまたま出張で直帰の為に早く上がれるし、出張先から数十分の沿線でのライヴ。


「これは行くしかない」と思ったのだが、ライヴの詳細を見てまた足踏み。




場所はアニメファンの集うカフェで、テーマは「ガンダム」で共演。彼女を一人のアーティストとして好きな俺にとっては、本意ではない内容。





しかし今までの事を思えば、今回を逃すとどうなるか解らない。





前のエントリで書いたが、駅の階段や事務所の前で、数ヶ月ぶりの再会を果たしたり、たまたま乗ったタクシーの運転手が、過去クビにしたスタッフだったり、妙な出会いが続いている事もある。数日前には、彼女に楽曲提供していた斉藤英夫さんとTwitterで会話していた。





「これは何かの兆しだ」


「このチャンスを逃す訳にはいかない」





そう思って、ライヴ会場に足を運ぶ事を決意した。





ライヴ会場は祇園の小さなアニソン&ボカロCafe、「スワロウテイル」。真っ暗で小さな箱で、客層は30代以下のマニア達。アマチュアやセミプロのDJや歌手数人がミニライヴを行い、まばらな観客がノッたりしている。初めて生でヲタ芸を見て、感心しつつも慣れない空間に戸惑っていた。


そんなミニライヴが終わり、いよいよ本日のゲストライヴの開始。高まる期待と緊張と不安。




ずっと昔から好きで、20代の彼女に憧れていた俺としては、俺の中で彼女を勝手に美化して熟成してしまっているので、本意ではないライヴを見て、28年の時が経って初対面して、自分がガッカリしてしまわないかが本当に心配だったのだ。


この辺が俺の彼女に対する、「斜めな愛を許して」欲しい所以でもある。




そんな俺の目の前を、黒いスパンコールのノースリーブに、ピンクのハットを被った、たった154cmしかない華奢な彼女が歩いてゆく。




ステージに上がり、MC開始。憧れていた人が、ほんの2m位の距離で話している。




1曲目は「風のノーリプライ」。





「No Reply♪ 琥珀(きん)の砂時計♪」





28年もの間焦がれていた、彼女の生歌。全く衰えていない声量と、相変わらずのハイトーン





嬉しくて涙が出そうになった。





ステージの彼女は「刻をこえて」尚全く衰えを知らず、俺の想像を遥かに凌いで若くて美しく、ともすれば、深みを増して以前より美しい位の姿だった。




もう一人のゲスト新井正人さんと、持ち歌ではない歌も数曲セッションし、アニソンではないオリジナルも一曲披露してくれた。彼女のMCの合間でコール&レスポンスに参加し、古いエピソードを知っていたり、持参していたLPを見せたりしたので、舞台上から握手をして頂いてしまった。


(↑裏を返せば、それだけ小さい箱だったのだ)


平日の夜で少ない観客ではあったが、ゲスト2人のパフォーマンスのお陰で、盛り上がりのうちにライヴ終了。




ライヴ終了後にスタッフに差し入れをお願いしたら、何と御本人が楽屋に伺っても良いと仰っているとの事。

バクバクと打つ心臓を抑え、楽屋に伺う。

たった1m弱の距離に、長年憧れていた彼女。



明るい証明の下で1mの距離で対面した彼女は、暗いステージ上の2mの距離で見た姿より、より美しくて輝いていた。




正直「二度目の初恋」に堕ちた。




舞い上がって饒舌になる俺。


前述した事などを話し、改めて持参したアルバムを見せ、彼女に「ホントに当時からのファンなんですね」と言って頂き、幾度も彼女の方から握手をして下さった。


それから「厚かましいお願いですが・・・」と懇願して、お気に入りのアルバム「CHASE」にサインを頂いた。加えて、当時もアナウンスが無く、長年事実確認をしたく思っていた、自分の勘(という確信)でしかない、彼女のと思しきCMソングに関しての質問をしたら(事もあろうに、ご本人の前で鼻歌を披露するバカな俺w)、「わぁ、よく覚えてるねぇ。自分でも忘れてたw」と、ご本人から確認が取れてしまった。


http://www.youtube.com/watch?v=Zhxm6ff5MlE&list=FLyWWxH8ZFbgRFU0ho1qJ0Vw&index=7&feature=plpp_video


(↑そのCMがこれ)



どのアイドルに楽曲提供されていたのか、という話とか、数日前に斉藤英夫さんとTwitterで会話した話や、我が姪っ子の命名の際、彼女の芸名や本名(加藤雅弥)に因んで、「弥」の字を使って「み」と読ませるよう仕向けた話などをした。最後には、11月にある東京でのソロライヴの案内を頂いてしまった。

夢のような10分間が過ぎ、挨拶お礼をして会場を後にした。



唯一惜しむらくは、あまりにも舞い上がり過ぎて、一緒に写真を撮らせて頂けるかどうか、確認するのを忘れてしまった事。「声の仕事をする人は、外見が衰えない」と良く言うが、皆に見せびらかしたい位、彼女は本当に美しかったのだ。





彼女の最後のCMタイアップであり、最後のメジャー・シングル、「風を追いかけて」。


「あれはねぇ、中々持ってる人、いないよ?w」と仰っていたけれど。




鮎川さん、俺はね、




当時の販促シール付のまま持ってるんですよ。


この曲の新曲発表をしたスタジオが篠山紀信氏のスタジオで、奥様である南沙織さんが受付をしていて、たいそう美しかったとお話されていたのも覚えているんですよ。


それどころか、直接言うのを忘れてましたが、




メジャーになる前のラッキー池田氏と南流石さんがダンスで共演している、激レアな「日本青年館FACEライヴ」のVHSテープも持ってるんですよ。



なかなかコアなファンでしょう?w





冷房の全く効かない車で日中走り回って仕事をした軽い熱中症と、疲れと、舞い上がりの中であったライヴ。


28年越しの憧れの存在との対面が、果たして本当の事であったかどうか、未だに記憶に怪しいし、信じられない。





しかし今、手元にあるコレを目にする度、本当の事だったのだと、思い返して噛み締めている。




28年越しの、願いがかなった夜。




俺はこの夜をずっと忘れない。