無知の知 | 運鈍根

運鈍根

執着を捨てよ。
過去への囚われを捨て
未来に遊ぶことなく
唯々今の現実に命をかけよ。おおらかに、おおらかに。

『無知は罪である』
無知なる者は知るべき知識を学ぼうともせず、観るべき事実を観ようともしない。当然、自ら取るべき行動もせず、他者を都合良く使い倒す。その癖、的外れの思い込みで起こった事象を誤解し、その誤解の上で他者を断ずる。そんな行為の先には失望しかない事は自明であるにも関わらず、そんな結果すら理解もできず他者の責任にする。事程さように無知を恥じぬ行動は他者を不幸にする。
更に醜いのは、無知を恥じぬどころか開き直り、詭弁を持って責任を他者に擦り付ける行為である。ここ迄行くと畜生の行為に等しいのだが、行為者は気付くこともなく他者を傷つけて得意げである事が多い。だから、『無知は罪である』。

相対して『無知の知』は幸に至る入口である。
無知な己を自覚して、より良く識りより良く観る事を心掛ける。己を良く省みて軽々に他者を断ずる事を避ける。出来事に際して他者に感謝する事を忘れない。この様な行動は己にも他者にも幸福をもたらす。そして、更に無知を知る。
無知を知る者は、己の知る事に無知な者を軽んじたりは出来ない。それは己を誹る事に他ならぬからである。事が替われば容易に立場は逆転する事を自覚しているからである。無知を知る者は若者を軽んじたり出来ない。それは昨日の己だからである。時が来れば容易に立場は逆転する事を自覚しているからである。

60年の間には、以上の行為の両面を自分で幾度となくやって来た。そう、無知の罪を犯し、無知を知った。それでもなお、幾度も無知の罪を犯して、また無知を知った。

『無知の知』これは命ある限り外してはいけない自分への箍である。