9月21日深夜に祖母が亡くなりました。
ちょうど、雑誌の週刊東洋経済にあった「納得のいく死に方」特集を見ながら、おばあちゃんどうしているかなと思い出していた日だったので、なんだか(読もうと思ったのは)虫の知らせだったのか……なんて思ってしまいました。
祖母には大分会っていなくて、施設に入ってあまり様子も良くない(ひ孫も孫も一緒になってる?)といった話で、ひ孫を合わせに行こうかなどと母に相談しても「行かなくていい(来なくて良い)」のやりとりで終わっていました。
私にとっては4人いた祖父母の最後の一人なので、1世代繰り上がった感も否めません。
昔、毎週のように遊びに行っていた祖母の家は、今は大きな商業施設が建ち並ぶ一角にあって、良く言えば宮崎駿映画に出てきそうな木造ボットン屋敷でした。それもまた私の記憶が消えれば、(私の)子の代には継がれて行かない風景になります。
身近な人に死が訪れると(そうでなくてもたまに)思うことが幾つかあります。
我々は何故生きているのか、いつか死ぬ日(の間近)に満足だったと思えるために生きているのかなと。
しかし、現実は生きるのにやっとで有象無象の頭痛の種に振り回されて、現状維持がやっと。身近な人の死に心を痛めている余裕すらほとんどない。
それでも必ず死はやってきて、基本的に死ぬときは一人……その日を恐れるでもなく、喜ぶでもなくただ生きている限り生きるしかないのだろうなと。